【鳩の街・赤線】社会現象にまでなったアプレ派・鳩の街のカフェー建築巡り! -鳩の街⑶
赤線「鳩の街」。私娼窟としてその名を東京にとどろかせた鳩の街は、現在はカフェー建築が残る数少ない赤線跡地になった。鳩の街商店街裏にある一本の道。何の変哲もない住宅街のように見えるが、タイルや円柱などカフェー建築の特徴が静かに眠っている。
老朽化もあり、近年、カフェー建築の数は減少しているものの、2020年現在のカフェー建築、鳩の街の姿を記録に留めたい。まずは「鳩の街」の歴史から紐解いていきたいと思う。
鳩の街の由来は?
赤線「鳩の街」。その名称はどのようにして誕生したのだろう?
父に「鳩の街」の話をしたら、「鳩レースと関係あるの?」と第一声。鳩レース?伝承鳩?予想していなかった答えに戸惑った私。でも確かに、鳩の街、地名の由来をしっかりと調べたことがなかったな…と反省。
改めて「鳩の街」の由来を調べてみた。
調べていく中でわかったことは、
・戦後進駐軍の米兵が「Pigeon Street]と呼んだ。
・Pigeonには「魅力的な若い娘」「だまされやすい人、かも、まぬけ」という意味がある
・平和にちなんで鳩の街と名乗った
なるほど、米軍によって名付けられたという話。そうなると、誕生した時から存在する名前ではなく、米軍が進駐してきてから浸透した名前なのだろうか?もう少し調べたい。
赤線「鳩の街」
「鳩の街」の赤線としての歴史
赤線「鳩の街」は、昭和20年5月に誕生した。私娼窟であった玉の井から戦災で焼け出された業者が新たな1キロ先の鳩の街に移転してきたという。
その成長スピードはとても速く、開業時は5軒だった鳩の街も2か月後の7月には40軒、70人。昭和23年には96軒238人。最盛期で108軒、300人があまり広くない範囲に密集していたという。新しくできた赤線であるにも関わらず社会現象にまでなった鳩の街は『赤線跡を歩く』では次のように表現している。
山の手の男も通った
アプレ派娘の街
墨東のニュースは玉の井から鳩の街へ
戦後は、RAA(特殊慰安施設協会)にも指定され、米兵が多く出入りしていたという。そのRAAも翌年に廃止。最近までといっても2013年頃まで「OFF LIMITS」の文字が建物に残っていたそうだが…
撤退してからは職人から女性募集まで玉の井で培ったスキルをもとに、元玉の井の業者が戦略的につくり上げた街に。アプレ(戦後)派の素人など、マスコミに注目された鳩の街は、現代の私たちをも引き付ける赤線になった。
『全国女性街ガイド』
『全国女性街ガイド』(昭和30年発行)から見た鳩の街。
遊廓の古い暗さからすっきり抜き出た感じが、民主主義の愛するところとなり、荷風老も鶴田浩二もタヌキ大臣も一度は寝たというのがこのシマの安直さで、石切場の向こうに赤い灯がちらついてくると大臣も労働者もいそいそとしてくるのが鳩の街である。
典型的なアプレ派の鳩の街は、その目新しさから大臣から労働者まで多くの人に愛されていたことがわかる。
このシマの女たちは惚れっぽいのが多く、すぐに結婚へ走ったり、出戻りしたり、不良のヒモがついたり等々、出入りが激しい。より原のように三分の二くらいは根を下ろして、じっくり女郎道にいそしんでいるといった女はわりに少ない。
惚れっぽく、人間味がとても感じられる鳩の街の女性たち。格式を重んじる吉原とは違って、のんびりと昼までいれるとこもいいところらしい。
『鳩の街女性の座談会』
『鳩の街女性の座談会』(昭和24年発行)には、女性たちから見た鳩の街が紹介されている。※著者の見聞による創作という可能性も高い本ではある
ここで働いている女は、どうもお人よしが多いのよ。私ね、こう思うの。かえつてこんな社會にいる女の方が純情で生一本な女が多いと思うわ。金にもけちけちしないで、情味があってさ。だから結局男にだまされ易いのよ。
赤線で働いている女性の方が、金目的ではないため純情な恋をしているという主張。世間一般から見た鳩の街の女性のイメージと少し違っているが、これが鳩の街の女性の本当の姿なのかもしれない。
この本は記者のインタビュー形式で行われているが、他にも興味深い話が多数ある。
女給の一か月の収入は、一般的で2.3万。多い人で5.6万円らしい。記者も驚く値段なわけだが、着物や食費の出費があるため、そんなに残らないと述べている。
赤線というと病気が多いイメージだが、身なりがきちんとしていれば病気にはなかなかかかりにくいとか。女給の方も客を選らんでいるらしい。この本がどこまで史実に基づいているのかはわからないが、鳩の街の女性像が浮かび上がってくる貴重な資料である。
鳩の街にあったアーケード付き飲み屋横丁が気になる
もう一つ『赤線跡を歩く』で紹介されているアーケード付き飲み屋横丁が気になる。現在はどこに飲み屋横丁が存在したのかもわからないほどに、区画整理されてしまった。イメージとして近いのは立石の呑んべ横丁。
本や記事で見かける建物も、近年取り壊され新しくなっている建物が多い。今後さらにその姿はなくなっていくだろう。
鳩の街には、銀座通りと栄町通りが目抜き通りだったと記載がある。栄町通りがどの場所にあったのかは特定できていないが、まずは銀座通りにのこるカフェー建築を見ていこう。
鳩の街「銀座通り」
銀座通りは、鳩の街商店街から「はとホットミニ公園」がある場所を目印に一本裏にある道。よく鳩の街を映した写真には、この通りが映っていることが多い。
白い円柱と茶色の建物
銀座通りの手間にある茶色と白い建物。茶色の建物も全面、トタン板で覆われているみたいだが怪しすぎる。白い建物も、1階部分は白く塗られ、2階はトタン板。
よく見ると、装飾の跡。色でカモフラージュしていても、すべての名残は消せない。
円柱も壁も派手だったため、塗りつぶしてしまったのだろうか。
市松模様のタイル
鳩の街といったらここ、というくらい有名な市松模様のタイルの建物。ここも同じく茶色で2階は隠されている。
青いトタンで隠された壁はどんな色なのだろう?スペイン瓦の屋根はほこりで曇っているのが残念…
当時の写真を見ると、大きな扉、引き戸があったらしいが今は片側だけになっている。
茶色のトタン板の部分も窓だった。
一部のタイルは剝がれてしまっているが、ここまで広範囲で残っているのはとても貴重。
円柱の下部は黒。なんとても言えないハイカラな組み合わせ。
スペイン瓦の深い青に吸い込まれそう。
向かい側の建物は新しめのアパートになっている。これは遺構ではないか。
青い円柱の建物
銀座通りの端にある建物。青い円柱が特徴的なカフェー建築。しかしここも白いトタン板で全面的に覆われている。入口と窓が何か所あるんだ…というくらい、巨大なカフェー建築。正面の覆われた部分も入り口があったに違いない。
天に伸びるようにそびえたつ3本の円柱。青い空に映える。
植木鉢で隠されているものの、青いタイルは横一列に残っている。
剥がれているところも特に目立たず、綺麗に保存されているのが素晴らしい。
トタン板で覆われているのがよくわかる構図。やっぱり建物は当時のままなのか…
さらにすだれでも壁を隠すという…頑丈なガードだ。住んでいる方にとっては迷惑なものなのだろう。静かに観覧したい。
円柱だけじゃなく、入り口の屋根にも青いタイル。
保育園側から見た銀座通り。商店街からすぐの裏に大人の路地が広がっていたんだなあと。路地の細さはきっと当時のまま。
青いタイルの建物は、かなり広そうだ。屋号などがわかっていないが、角にあるお店ということで繁盛したのではないかと勝手に予想する。
保育園横の白い円柱
銀座通りから墨田区立寺島保育園を挟んで反対側にある細い道の奥に、円柱が残る白い建物が残っている。
円柱が全部で4本。下部は和風のデザインだが、上部はどんなデザインだったのだろう?奥の壁、給湯器に隠れている壁の一部が四角く回りと色が違うのがわかるだろうか?ここも、窓だったのではないかと思うのだけれど…
密集した通り
墨田区立寺島保育園の東側、住宅街が密集している通りにカフェー建築の遺構がある。
茶色の渋いカフェー建築
茶色のタイルが当時にしては渋いのではないかと思われるカフェー建築。円柱もどっしりと残っていますね~
反対側も広角レンズで撮影。ドアが二か所、窓も大きめ。
側面にある窓、素敵すぎる。燻竹のような窓の趣向。当時のままなのかな?茶色のタイルと相まって渋い…
茶色のタイル、時間が経ってさらに渋い色合いになっているのかな…
カフェー建築と言えば、明るい、派手なイメージだったけど、敢えての渋い色合いに惹かれますね~
こちらの窓は木枠。
「都荘」と掲げられた入り口の看板。現在はアパートになっていて、住んでいる方もいるので迷惑にならないように見学しよう。
戸袋にもシンプルでおしゃれなデザイン。
よく見てみると、タイルの痕跡が来阿部や円柱に残っている。下部が緑、円柱は水色、壁はピンク色といったところ。つい最近までカラフルなタイルが見られたが塗りつぶされてしまった…無念。
ちらりタイル
向かい側にある建物もカフェー建築でよくみられるバルコニー。バルコニーがしっかりとあることで、下から2階を覗かれる心配もなし!
確かに、全く2階の様子がわからない…!一目でカフェー建築とわかるわ。
1階部分は例にならって茶色のトタン板。…と思ったら!
ピンクと白のタイルがちらり!!
え、キュートなデザインすぎる。グレーな重たい壁の色に似つかないキュートな色。もしトタン板で隠れていなかったら目立つわけだ。
他にもそれっぽい建物
同じ通りにそれっぽい建物はちょこちょこ。茶色のトタン板で覆われた建物は、
蛍光灯か、なにかの遺構が残っていた。
はがれかけている隙間から、ピンク色の壁?
茶色のトタン板で覆われているから一般の民家に見えるけど、なにかが隠されているんだろうな。
曲線が残っている比較的新しめの建物。
カフェー建築の周りには新しい一軒家も多く、周辺に住む子供たちが走り回っていた。カフェー建築は恰好の遊び場になっている笑
工場?怪しい建物
一見、工場なのかな?と思ってしまう2階建ての建物。
窓がずらーと並んでいて、なんだかわくわくする。
現在はアパートととして使われているようだが、この建物の真相や如何に…!
追記、撚糸工場だそうです。2021.12月から解体されました。
アパートの裏にある2階建ての建物も、赤線の遺構と言われている。が、どこの資料で見たか忘れてしまった。
工場らしき建物から、商店街を見渡す。中華料理屋の隣にある新築の建物の場所には、ピンク色の壁のカフェー建築があったらしいんだけど…!GoogleEarthからは確認できるので気になる方はぜひ。
最後にひとつ。
カフェー建築の東側にある広大な敷地。建物もあるけどほとんど森みたいになっている。この敷地の歴史を深堀したいなと思う今日このころ。
鳩の街イラストMAP
鳩の街は屋号や通りの名前など、詳しいことがまだわかっていない。調べていく中で、鳩の街に関する情報がお隣の玉の井に比べて少ないと感じた。社会現象にまでなっていたのになぜ?
また、カフェー建築の遺構は多く残っているものの、現在は閑静な住宅街。探索する際は静かに、迷惑にならないように行動したい。これからどんどん数が少なくなるであろうカフェー建築。今後も様子を見守っていきたい。
追記:カストリ書房さん出版の『東京の性感帯』に鳩の街の詳細がありそうな予感。再入荷待ちなので手に入れたら追記したい。
(訪問日:2020年7月)
【参考にした本】
赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫) 文庫 – 2002/3/1
木村 聡 (著, 写真)
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