「花島観音(天福寺)」門前にある”観音茶屋”とは?花島観音入り口の石塔を辿る
千葉市花見川区にある「花島観音」へ初めて訪れてみました。
さらに、門前には昔ながらの茶屋?の建物が残っていて、そのお店の存在を忘れることができないのです。
花島観音(天福寺)
千葉県千葉市花見川区花島街60。こてはし台団地の商店街で取材をしていると、「花島観音がおススメだよ~」と教えていただいたので帰りに立ち寄ったのだ。
千葉市のホームページにも「花島観音緑地保全地区」として紹介されている。
京成電鉄八千代台駅の東約2km、花島公園の中央に位置する花島観音の境内地です。
花島観音はその歴史文化とともにサクラの名所として親しまれ、周辺の花島公園や花見川の緑と一体となった景観を形成しています。
平成10年に指定。花島(はなしま)観音だけでなく、周囲の景観も素晴らしいので散歩にぴったり。
花島観音と呼ばれているが、正式には「天福寺」。奈良時代にまで歴史が遡る。
千葉県指定文化財の「木造十一面観音像」が本尊とされている。とても貴重な観音像、なんと、33年に一度御開帳されるそうだ!
しかし、33年に一度っていつなんだろう?2017年に御開帳と書いている人がいたので、次は…2050年?
調べたら、縁日が毎年4月18日に開催され、出店が並ぶようだ。購入した草鞋を仁王門にくくりつけると、足が丈夫になるとか。
だから仁王門の正面に草鞋がたくさん飾られていたのか…
花島観音への道標
そして、私は以前、花島観音に関する石碑を見かけたことを思い出した。場所は、千葉県千葉市花見川区天戸町 県道69号沿い、ちょうど花島公園へ繋がる交差点である。
交差点の角に、大きな土台の上に建つ石碑。その時の写真を載せておこう。当時は花島観音をよく知らなかったのだけれど、今思うと石碑と遭遇していたことに感動するな~
丁寧に説明看板もある。
花島観音入り口と石塔
この「花島山正観世音」(明治14年)は、江戸時代中期より明治時代にかけて観音信仰が盛んであった名残です。刻まれている奉納者を見ると、幅広い人々の交流をうかがい知ることが出来ます。もう一つの”六十六部供養塔”(宝暦13年)は、巡礼(六部)行脚の供養塔です。これ等は、昔の農村の人々の心を伝える貴重な文化遺産ですから大切にしてください。平成4年3月
江戸中頃から明治時代にかけて観音信仰が盛んであったことがわかった。県道の通りは、”御成街道”として知られ、交差点の南は袖ヶ浦と印旛沼を繋ぐ”検見川道”。
江戸時代には多くの人の往来があったことが窺える。
花島観音への道標。正面に「花嶌山正観世音」、側面に「是北観音堂八町」「西ふなばし道」。
正面に「花嶌山正観世音」、側面に「是北観音堂八町」「西ふなばし道」。
石碑がある場所は、空き地になっていて文化財が大切にされているのが嬉しい。
石碑の近くにあるのが、巡礼行脚の供養塔。
また、石碑から花島観音の方へ北へ進むと、石碑が残っていた。
先ほどの説明から引用すると、
この十字路から花島方向へ50m程行ったところに馬頭観音や庚申塔(宝暦12年)があります。このあたりは享保7~8年頃まで牧場の入口でした。習志野原は、江戸時代徳川幕府が”下総牧”(野馬)を経営したところなので検見川道を行き交う人々は、牧場を通って往来していました。
庚申塔の側面に、「おおわだ」と「けみ川」の文字が。
手のイラストが愛くるしい。道標の手のイラストがこんなにハッキリと残っているのは珍しいので何枚も撮影してしまった。
昔の人々の気持ちになって、石碑から花島観音まで辿ってみるのも面白そうだ。
花島観音前にある観音茶屋?
花島観音の門前に気になる建物。
普通の1軒屋に見える建物だが、どこか様子が違うな…と私の勘が働いた。
飲食店なのではないか。左にあるのは小さなショーウィンドウ。でも、1軒だけあるのが不思議。周囲には他にお店は見当たらなかった。
よく探したら、建物の奥に看板が放置されていた。
「お食事処 観音茶屋 花島観音前」と書いてある。逆さの状態で放置されているので敢えて逆さの写真で載せておこう。
花島観音の景観も素晴らしかったのだけれど、私はどうしてもこの看板が忘れられなかった。観光地に残っている昭和の売店とかの雰囲気がとても好きなんです。
門前の茶屋。昔の地図を見れば載っているかも。
どんなお店だったのだろう?
2011年のストリートビューを見ても現在と変わらない様子なのでわからないな~
もしかしたら、お正月など行事の時だけ利用されるのかな?もし知っている方がいたら教えてください…
有名な場所なはずなのに、なぜ誰も茶屋に注目しないんだろう…
近くの花見川団地についてはこちら↓
「花見川団地商店街」の現在。日本一大きかった?団地の商店街へ
追記:地元の方より
茶屋は、40年ほど前に営業を始めたが5年をもたずに閉店し、建物がそのまま残っているのではということだった。その方も曖昧な記憶とあるので覚えている方は少なそう…
(訪問日:2021年2月)
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県道69号線は月に一度は通るのに石碑には気付きませんでした。今度注意深く見てみます。
4月18日、花島観音様の縁日は大正9年生まれの祖母(既に他界)の娘時代には、当時の若者の一大イベント(!?)でとても楽しみにされていたそうです。が、なぜかこの日に私の両親は結婚式をすることになるとご近所中で、「なんで、花島観音様の日に・・・」と噂され、祖母もずっと機嫌が悪かったということです。どうしてなのか???今となっては知る術もなく、それでも母と訪れた花島観音がとても気持ちの良いところだったことを思い出しました。
大正期にはとても賑やかな場所だったのですね!もしかしたら門前の茶屋もその頃は営業していたのでしょうか…