勝浦の赤線。かつて花街として賑わった岩切通りの現在 -勝浦⑵

勝浦の赤線。かつて花街として賑わった岩切通りの現在 -勝浦⑵

勝浦にも花街、赤線があったらしいとの情報を得たので調べることに。今回勝浦で宿泊した旅館「松の家」の女将さんも、岩切通りの方が花街だったとお話していたので間違いないだろう。果たして現在はどのような姿になっているのだろうか。

勝浦の花街

全国女性街ガイド』(昭和30年、渡辺寛)に勝浦の赤線についての記述があるので引用する。

漁港勝浦も戦時中は、新屋敷からおまん様へ行く道に玉の井というのが出来、十軒のバラック建てにアリラン・ピーさんも混じって繁昌したが、終戦でそれもつぶれ、最近は串浜へ抜ける「げんなりそばや」の周辺に七軒、純然たる赤線が誕生した。

玉の井というのは、東京墨田区にあった私娼窟玉の井と関係があるのだろうか。そしてアリラン・ピーさんという言葉は初めて聞いた。

調べてみると「アリラン=慰安婦」「ピ=業者」などと表現されているようだ。「P」は英語で「Prostitute(娼婦)」の頭文字から取ったという説もある。戦時中、勝浦にも慰安婦に関する歴史があったとは。他の地域では慰安婦の方との関係性はあまり聞いたことがないので、少し独特な地域なのかもしれない。

終戦後には、串浜へ抜ける通りに赤線が誕生したとある。串浜というのは勝浦駅の西側にある海岸だ。抜け道というと、勝浦駅から鵜原駅までの外房線の沿線ということだろうか。最近とあるので昭和30年頃にできた様子。

おまん様へ行く道は、旅館松の家からさらに南側、楠浜は勝浦駅から西側に位置するのだが、私が女将さんから伺った岩切通りとは場所が違うようだ。今回は、岩切通りしか探索できていないのだが、勝浦にはそのような場所が多数存在していたと思われる。

岩切通り

岩切通りは、現在の千葉県勝浦市勝浦5の勝浦市沢倉、御宿の方面へと抜ける道。岩切という名前の通り、山を切り開いたことが由来となっている。

「岩切通りの家並みに歓楽街にふさわしいい店舗名がみられる。」と鳥瞰図の説明にも記述があるため、勝浦の歓楽街として賑わっていたのは確かだろう。
岩切通りは浜勝浦漁港と東側にあった豊浜を結んでいたそうだが、大正2年(1913年)に鉄道(房総線)の開通、勝浦駅の開設が実現したことで、状況が一変。岩切通りを利用する人は少なくなり、次第に静かな通りになっていった。

岩切通りと鳥瞰図

昭和3年に松井天山が描いた千葉県勝浦町鳥瞰図から岩切通りを眺める。

鳥瞰図

上本町の西側に「岩切通」と書かれた通りがある。左右両側にびっしりと店舗が並び、中央には中村病院という病院もあるのがわかる。吉野表具店も敷地が広い。

そして料理屋らしき店名が多数並んでいる。手前から御料理若竹、朝日家、富貴家、菊乃家、かめや、鴨川家など。詳しくはわからないが、飲食店がとにかく多く、賑わっていた通りであることがわかった。

また、上本町の左側を見ると「三業組合事務所」と書かれた場所があるのがわかる。三業というのは、料理屋・待合・芸者屋の三業種の総称である。花街が存在したことの証拠である。

追記

また、この通りには劇場山本座というのもあり、三層楼の旅館である山本楼や幸前楼などもあったらしい。さらに、先ほど鳥瞰図にも載っていた鴨川屋、亀屋、壽(コトブキ)、春木屋、喜久乃屋(菊乃屋)、富貴屋、朝日屋、房州屋、若竹、今井屋、山口屋、富士屋、浅野屋、金政などのよう料理店は、特殊飲食店として営業していたそうだ。そう考えると、かなりの数の特殊飲食店が存在していたことがわかる。

現在の岩切通り

現在、岩切通りはどのような風景になっているのだろうか。名残が少しでもあるといいなと思いながら探索することに。

公楽館(山本座)

勝浦市図書館から東側へ進むと、「ニューカツウラ」と書かれた建物が見えてきた。パチンコ屋だと思われる。現在は営業しているのか不明。

ニューカツウラ

実はこのニューカツウラが最近まで「公楽館」として営業していたパチンコ屋ではないかと思う。昭和53年の住宅地図では康楽館とある。そうであるならば、東海座公楽館と名乗っていた劇場の名残になる。壮大な建物で近隣の人々は目を見張らせたとあるが、鳥瞰図でもその様子が確認できた。

どことなくその雰囲気が今も残っているかもしれない。公楽館の前身が山本座といったそうだ。岩切通りの大歓楽街が盛況であった頃に賑わったというので戦前の話だ。

岩切通りへ

そしてさらに東側の道へ進む。

岩切通り

特に飲食店が立ち並ぶ様子もなく、ひっそりとしている。昭和53年の住宅地図に「ニュークラブマキ」と書いてある店舗は、現在「スナックマキ」に。地元の方に愛されるお店らしい。岩切通りでそれらしい飲食店はマキくらいだろうか。

その隣の建物は、泉沢タバコ店と思われる。

右のビルがマキ

左手奥の建物は福山米店から福山商店へ。

福山商店

福山商店の奥は、山形酒店。昭和53年の住宅地図にも載っているだけでなく、昭和3年の鳥瞰図にも「山形屋商店」とあるので岩切通りの繁栄を知っているかもしれない。しかしながら営業している雰囲気は無い。

山形酒店

立派な建物、広い敷地の個人宅に僅かながら面影を感じる。

広い敷地

牧野美容室の裏の中村病院

現在は営業していないようだが、右手には牧野商店がある。昭和53年の住宅地図でも載っている。

牧野商店

その向かい側にはマキノ美容室。同じ経営者なのだろうか。

マキノ美容室

牧野商店の壁には、世界のヤマザキ、アイソトニック飲料アクエリアスなどと書かれた広告が残っていた。

レトロなアクエリアス
石垣がある個人宅

青い壁に貝殻が付いた独特な家に注目していたら、右奥が駐車場になっているのが見えた。実は、ここが現在は無い中村病院の跡地ということになる。鳥瞰図にも載っており、昭和57年の住宅地図にも書いてあるのだが、平成4年の住宅地図から姿を消している。

右奥が中村病院跡

名残はあるのか?

ある民家の入り口に置いてあった石が気になった。表には獅子のような動物が描かれているような…料理屋の名残だったりするのだろうか。

気になる石

昭和3年の鳥瞰図にも載っている吉野表具店は同じ場所に存在していた。鳥瞰図から現在も残る唯一の場所。

吉野表具店

山道を切り開いたのがわかる崖が左手に見える。

山だったんだな

さらに進むと、イカが干されていた。

イカ!

かつての繁華街は、のどかな住宅街へと様変わりした。

天日干し

猿田彦大神

あと気になるのは、岩切通りから奥に見えた赤い鳥居。鳥居からさらに奥へ進むと「猿田彦大神」があるらしい。

猿田彦大神

猿田彦大神についての詳しい情報がわからなかったが、何か関係があるのではないかと思う。少し遠かったので行くのを諦めたが、ちょっと後悔。

かつて花街だった岩切通りはとても静かな通りになり、花街の歴史を知っている人はこれからさらに少なくなるだろう。

割烹旅館「若葉園」

さらに周辺を探索していると、ニューカツウラのパチンコ屋の裏手の方に割烹旅館「若葉園」という看板を見つけた。

若葉園の看板

赤い建物と、金色の文字が夕陽に照らされて輝いていた。

赤い建物が素敵

至って普通の旅館かと思っていたら、玄関先に見えるひょうたんの窓が気になった。

ひょうたんの窓

もしかして花街に関係があったりするのかなと淡い期待を寄せたが、インターネットで検索しても情報は無し。昭和3年の鳥瞰図には載っていないので、岩切通りの花街とは関係が無さそうだ。

花街と関係があるのか?
若葉園裏手

旅館岩葉園について知っている方がいましたら教えていただけると嬉しいです。私も今度宿泊してみたい。

勝浦の赤線について、岩切通りから探索したが、他にも2か所あったというので次回は違う場所も探索したいと思う。

 

(訪問日:2020年8月)