浜野・房総往還沿いの商店街と並木商事㈱の銅板建築 -浜野⑶

今回は、生濱町道路元標を中心として広がっている商店街を探索!名もなき通りだけれど、歩いてみると銅板が美しい看板建築も残っていました。
塩田町周辺・本行寺
千葉県千葉市中央区浜野町1290-3。前回紹介した、旧生浜町役場庁舎からのスタート。バスには乗らず、歩いて浜野駅まで商店街の歩いていないところを探索します~

旧生浜町役場庁舎から北へ伸びる道は、房総往還。この辺りはかつては「生実新田」と呼ばれた塩田町が広がっている。

赤い屋根の立派な古民家は、塩田町の変遷を見守ってきたのかもしれない。


房総往還を南へ進んでいると、本行寺への看板が見えてきた。

平成31年で、本行寺が開創されてから550年となるらしく、泰師堂の再建に取り組んだそうだ。昭和20年、太平洋戦争の戦禍によって、本堂・泰師堂・書院・庫裡の四棟の124坪あまりが全焼してしまった歴史がある。
また、戦時中、昭和18年に金属回収令によって武器資材として梵鐘等が供出され、昭和の頃は土台しか残っていなかったという…昭和63年に鐘楼堂は復興された。

房総往還に面して建つ石碑は、”寛政”とあるので江戸時代につくられたものであることが分かるが碑文は読みづらい。
水準点と道路元標
また、先ほどの石碑の手前、房総往還沿いには水準点も。

国土地理院のホームページに、水準点の説明がある。
水準点は、正確な高さを求める測量をおこなうために、国土地理院が作った高さの基準となる点のことです。 この記号は、水準点のある場所をあらわしています。 この記号は、水準点の標石を真上から見た形を記号にしています。
日本全国の主要な道路沿いに設置されているらしい。水準点を追っているマニアもいるのかな?千葉県では市川市行徳にあるのを聞いたことがあるが、まだ私はあまり見たことがないな~
さらに、私はもう一つ見逃していた。
同じ並び、浜野のT字路に「生濱町道路元標」が建っていたのだった!
電柱に隠れていて気付かなかった~ショック。また行かなければ。

道路元標があるということは、昔この辺りが町の中心だったということ。現在残っている商店街の面影を辿ってみよう。
ハシモトストアーと商店街
千葉県千葉市中央区浜野町1110。道路元標の斜め向かいにある「ハシモトストアー」。

全日食チェーンの看板が付いている。現在も小さなスーパーとして営業中。
飲み物を買いたかったので店内に入り、お店の方に話を伺った。車がある人は遠出してしまうので商店街で買い物をする人は減っているようだ。

「よくやってるね」と地元の方に言われると話していたが、こういう地域のスーパーが近くにあると足が悪くなった高齢の方はとても助かるのではないかと思う。

なだらなかカーブがつづく房総往還(県道66号)を西へ。
駅前と同じ街灯が続いていた。

街灯は続いているが、商店街の雰囲気は…というのも、最近両側の古い建物が建替えられており、個人商店が無くなっているからだ。

建物がなくなってしまうとどんなお店があったのか分からない。もし覚えている地元の方がいたらコメントください。
電器店「サトウデンキ」は営業中。

ピンク色の可愛らしい小屋はファンシーショップ!営業しているのかな?

その向かいの大きなショーケース付のお店は「まるみや商店」だった。10年ほど前に閉店している。

デイリーファッション「ヤマヨ浜野店」は定休日のようだった。

隣の小さな建物は中華料理屋「ふじ飯店」。地元の方によると大盛で有名だったらしいが、10年以上前に閉店している。

また、斜め向かいには精肉店が営業しているとんかつ店「まつや」があったが、既に更地に…
隣の和菓子屋「隆月」は営業中だったのが嬉しい。

並木商事株式会社
和菓子屋の向かいに、目を引く建物があったのでしっかりと記録に残しておきたい。

並木商事株式会社。T字路の角、右手もかつては同じ会社の建物でパナソニックの看板が出ていたが、2020年頃に建替えられている。

10年ほど前と比べるとかなり老朽化が進んでいる。右手にはタバコのショーケースもあったのに、今はシャッターが下りたままだ。

電気器具・プロパンガス・たばこ販売店。
よく見ると、建物の上に青銅の飾りがついている。これは看板建築では?!

屋根が妻入り(入り口が棟と直角方向)なので戦後の建物であると思うが、それにしてもこんな場所に青銅の建物が残っているなんて全く情報無かったよ…
また、店舗の隣には石の古い門柱、壁、蔵が残っていた。

壁や門柱もなかなかの古さ…もしかしたら戦前からあるものかもしれない。

木が茂って良く見えないけど、蔵の形が洋風なデザインで可愛い。

たばこ店なので、たばこを購入して話を伺うことにした。(タダで話は聞けないから…)
店員さんが数名いて、忙しそうだったが快く話をしてくださった。お店自体は創業100年は経っていて、建物は130年前後の建物らしい。想像以上に歴史があった…!
蔵は80年前、青銅の飾りは40年ほど前に付けたものらしく、詳しくは分からないという。新しく店舗を建て替えると言っていたので、この建物も次訪れたら無くなっている可能性が高い。
昭和30年代、JFEで働く従業員がたくさん歩いていたが、今はそのJFEの敷地も半分になり、駅前や商店街も衰退。この周辺にも寮や旅館などが存在したことを教えて下さった。

調べても全く情報無い、創業100年以上を超える老舗店とその建物を記録に残すことができて良かった。


並木商事のあるT字路、立派な古民家も新しく建替えてしまった。

房総往還はまだ続くが、電車の時間が迫っているのでこの辺りで今回は終了。
最後に名もなき老舗と建物に出会えてとても嬉しかった。
(訪問日:2021年8月)
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