JR浜野駅西側の飲み屋街?昭和の名残。地元の方に話を伺う -浜野⑸

JR浜野駅西側の飲み屋街?昭和の名残。地元の方に話を伺う -浜野⑸

浜野駅の西側に、昭和な雰囲気満載な飲み屋街が残っていた。ネット上にはあまり情報が無い場所で、少し怖かったけど、いざ行ってみると地元の方から話を伺うことができた。

JR浜野駅西側にある飲み屋街

千葉県千葉市中央区浜野町。前回、JR浜野駅西側にある蕎麦屋「やなぎ屋」でお昼ご飯を食べた。その足で西側へ向かう。

裏道沿いには元青果店と数店舗が営業していたと思われる建物があった。

元青果店?

その建物と反対側の西側を見ると、細い裏路地がありその奥に飲み屋の看板が見えた。これは気になる…

細い裏路地の奥に

この裏路地はストリートビューが通れない道。少しドキドキしながら歩いた。

先ほど見えた看板は、小料理「華久」の看板だったようだ。

小料理「華久」

そしてここが飲み屋街と思われる入り口…完全に裏口だった。家電など荷物がたくさん置かれている。

飲み屋街の裏口に来た

昭和レトロスポット、とかディープスポットを探訪している人はたくさんいるけれど、今回訪れた浜野駅西側の飲み屋街については検索しても出てこない。こういう知られていない場所こそ記録に残しておきたい…

14時頃着 少し暗い

1階が店舗で2階は住居?
Googleマップ上では現在営業しているのが3軒?昔は、10店舗近くのお店が並んでいたのだと思う。

浜野の飲み屋街へ
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地元の方に話を伺う

私が撮影していると、旧店舗の扉が開いた。ここを撮影しているのが珍しいらしく、怪しいなと思ったのだろう。

このまま撮影して終わりではつまらないので、私が千葉県内の昭和の記録を残しているという事情を話した上で、昔の話を伺う事にした。

話を伺ったのは80歳を超える男性。こちらに来てからは2~30年で、以前は関西にいたそうだ。

この飲み屋街が栄えていたのは、バブルの頃。最近は市がここのスペースを一部買い取って社宅にしようとしていた?動きも見られたようだが、忘れ去られたかのように時が止まっている。

コロナになってから、さらに周りの皆が外に出なくなってしまったという。確かに話をしていても、他の住人の方とは会わなかった。静寂に包まれている。

また、その男性は、第九代呉市長「勝田登一(といち)」とも深い関わりがあるそうで、家族構成や病院船に乗って呉から疎開したこと、おひつをもって防空壕に逃げたことなどを教えて下さった。

初対面のおじいさんなのに、なんだか話が止まらず。

「放浪癖あるんちゃう?」
「話尽きないから銭湯行っておいで」と。

私の性格を見抜かれた上に、銭湯に行くことを後押ししてくれて、なんだかほっこり。

飲み屋街正面

宝くじを一度当てたい!と願っていたが、元気にしているかな…

追記:地元の方より

地元の方から貴重な情報をいただきました!ありがとうございます!!

・最初の裏路地は元々農業用水路で20年程前に暗渠化して路地になりました。
・飲み屋街は79年頃に『浜野ショッピングセンター』として開業し、当初は飲食店の他に美容院と模型店もあったんです。元々は総合的な商店街を目指したようですが、
実際に入居したのは飲食店がメインでした。しかも入居したのは数店舗だけで、オープン当初から空き室が目立ち閑散としていました。

1979年頃にオープンし、「浜野ショッピングセンター」と浜野を代表する商店街を目指したことが分かるが、オープン当初から厳しい状態だったことは驚いた。そりゃ今も静かな商店街になるわ…

 

(訪問日:2021年12月)

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