ハミングロードパルサ(栄町通り商店街)。かつての中心街の現在は -栄町⑵

栄町通り商店街。現在は大人の雰囲気満点、怖い街として知られた栄町も、昔は駅前の賑わいのある商店街だったのです。
ハミングロードパルサと呼ばれる、栄町のメインストリートの歴史を紐解きます。
栄町通り商店街(ハミングロードパルサ)
千葉県千葉市中央区栄町。「関東屈指のアンダーグラウンド」「暴〇団の住処」などと評され、昭和の栄町を知っている方なら「怖い街」として認識しているのかもしれない…
現在も風俗店が多数営業していることは前回まとめたとおり。そして今回は、千葉市民会館前から南へ伸びる「栄町通り商店街(ハミングロードパルサ)」へやってきた。

現在の栄町通り商店街の街並みがこちら。
昔の姿とは打って変わり、静かで綺麗な街並みが広がっている。全く怖い街とは思えない…

栄町通り商店街の歴史について振り返ると、旧千葉駅の存在が大きかった。
現在の千葉市民会館の場所に国鉄千葉駅、南側の千葉市中央公園の辺りに京成千葉駅が存在したころは、両駅の目抜き通りとして大いに賑わいを見せた。「栄町」の名前からも千葉市内を代表する繁華街だったことがわかる。


しかし、千葉駅が昭和38年(1963)に現在地に移転。
移転に伴って百貨店なども移転し、その跡地に風俗店が続々と立ち始め、現在のような大人の街が形成されたとのこと。
歌舞伎町のような賑わいを見せた歓楽街だったが、バブル崩壊やリーマンショックなどの影響を受け、現在は空き店舗も目立ち、歯抜け状態に。
かつてはキャバレーや大人向けの映画館も存在したことを覚えている方もいるのでは?
「消えた映画館」によると、千葉栄町東映劇場は1974年~2003年。ゲームセンターやボーリング場が併設されていたらしい。現在、跡地は駐車場「I’sPARK 千葉栄町第二」に。

2008年のストリートビューに「栄町東映」が映っていた。嬉しい!
右隣のビルは暗いゲームセンターの雰囲気。
大人向けの映画の看板なども大々的に飾ってあったため、子供心に怖かったという話も聞いた。
また、2010年にアーケード屋根が撤去され街灯が設置されているため、昔のような暗い商店街の雰囲気は一掃されている。

2008年の様子
アーケード屋根が無くなるとこんなに空が広くなるのか…と違う商店街を見ているような感覚。屋根が連なっていた頃は雰囲気も全体的に暗く見える。
栄町通りはハミングロードパルサと名付けられ、新しい道を歩み始めているようだ。

看板建築「オリオン靴店」
アーケード屋根が撤去されたことで本来の建物の姿は良く見えるようになった。

看板建築のオリオン靴店。千葉市は空襲の被害が大きかったので建物は基本的に戦後と考えている。

既に閉店しているようだったけど端正な顔立ちの看板建築に惚れた。

2008年は営業していた
ファザードの裏が歴史を物語っている。

その奥は綺麗なビルだが飲み屋街が広がっている。

表通りよりも一本裏道へ入ると飲み屋が密集している様子。夜になったら賑わうのかな~
栄町通り振興組合の様子
現在の商店街の様子を見ながら、北へ向かって歩いてみる。
かっては全国的に有名な歓楽街だったが、
近年は飲食店、特徴のある専門店が多く下町風の商店街へと変容している。昭和40年組合設立 58店舗
・昭和20年代から開催し、現在100回を超えた「のみの市」
昭和40年に設立した商店街組合。現在はホームページが削除されているので商店街としては機能していないのかもしれない。

アーケード屋根が存在したころは1階には蕎麦屋など飲食店が営業していたが現在は中国物産の看板が目立つ。
向かい側も取り残されたような建物が。

栄町仲通りの看板。ハミングロードパルサを突き抜けるように東西に伸びている。

そしてかつて映画館が存在した跡地。

その向かいには、ゴールデンプラザと書かれたビル。

千葉ゴールデンプラザ。独特なフォントが目を引くが営業しているのは数店舗…


映画館が無くなって、栄町の裏通りのお店が良く見渡せるようになった。


ハミングロードパルサの北側。かつてはこの辺りまでアーケード屋根が存在したようだ。

古いシャッターにはナショナルの文字。電気屋さんだったのかな。

そして、栄町南通りの看板。

道沿いには大人向けのお店が並んでいる。その奥がモノレールと現在の千葉駅方面。

完全に廃墟化している建物は取り壊され駐車場になっているというが…

千葉市栄町立体駐車場。錆が涙のようになっている。

かつては国鉄千葉駅に近い場所。今は大人向けのお店の看板が目立ち、駅前とは思えない雰囲気に。

やき蛤の「大阪屋」は屋上の看板だけが残っていた。

ハミングロードパルサの北側にある、千葉市民会館。ここが昭和30年代以前は国鉄千葉駅だった。

かつての姿を知っている人は「栄町も賑わっていた頃は良かったわねえ」と寂れた現在の街並みを見て語っていた。

かつての京成千葉駅前

ハミングロードパルサの南側、現在の千葉市中央公園に存在した、京成千葉駅。今度はその周辺を探索。

先ほどと同様にアーケード屋根が撤去されて綺麗な街並みに。

2008年のストリートビュー
モンテヤマザキは看板だけが残されていた。


撤去されたのは屋根だけではない。ビルや建物も更地になっている場所も多く、歩いていて寂しい気分になる。
ここがかつての千葉市内一の繁華街なのか…
割烹料理店「をざわ」はビル屋上の看板がかなり渋い。

看板は渋いが、お店は営業中。うなぎが名物のようだ。

お店は2階。コロナ禍で時短営業をしているようだった。

栄町通り商店街を歩いてみた。噂で聞いていた怖い街のイメージは全くなく、屋根も無くなったのでとても開放的な雰囲気だった。
昔の栄町を覚えている方は一度歩いてみてはいかがでしょうか?
(訪問日:2021年7月)
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昭和30年代はハミングロートパルサと県庁迄続く千葉銀座通りが一番賑わってたと思います。
当時は栄町に住んでる同級生も多くて、個人で店を経営してた人が多かったですね。
焼き蛤屋さんも二件(大阪屋と小田原屋)あったと記憶してます。中にはキャバレーを経営してる人も居て、クリスマス後のゴミ捨て場には紙の三角帽子やクラッカーが散乱してましたよ。
クラッカーは最近余り見掛けないけど、食べ物ではなくて紐を引くと破裂して細かい紐状の紙が散乱するオモチャです。眼鏡に髭の付いたオモチャの眼鏡も当時のクリスマスの必須アイテムでしたね。
ここまで変貌したのも全て国鉄千葉駅の移転が原因かな?車社会も影響してるのかも?