内房線「五井東口商店会」。日記文学『更級日記』とも関わりのある街 -五井⑴
今回は、内房線「五井駅」へ。まずは東口を探索します!
平安時代の有名な日記文学『更級日記』とも関わりが深い街とは驚きです~
内房線「五井駅」へ
千葉県市原市五井中央西2丁目。内房線「五井(ごい)駅」へ。
東口方面には、小湊鉄道の車両がよく見える。今まで養老渓谷へ行く際に五井駅で小湊鉄道へ乗り換えをしたことがあるが、五井駅で降りたことは無かったので新鮮な感覚。
五井駅の開業は、明治45年(1912)。小湊鉄道の駅は大正14年(1925)に開業しており、歴史ある駅だ。
五井駅の東口へ降りると、駅前に「こみなと待合室」という新しいスペースがオープンしていた。
小湊鐵道直営のカフェだそうで、2021年3月24日にオープン。
「五井駅周辺にはバスや列車を待つのに雨や風、暑さや寒さを凌げる場所がない」 という話から、こみなと待合室の構想が始まりました。
電車やバスを待つ時間にほっと一息つける場所。家族連れでも入りやすい温かみのある雰囲気が印象的でした。
確かに駅周辺にはカフェが少ない雰囲気。駅前通りに古そうな中華料理屋の看板があったが廃業しているようだった。
中華料理屋「翠燕」。
更級通りにある”菅原孝標女”のモニュメント
東口の駅前通りは、「更級通り」と呼ばれている。
中学生のクリスマスプレゼントで『更級日記』の本をもらうほど、『更級日記』が好きな私。これは見逃せない…
奈良・平安時代。市原市には上総国の国府がおかれ、都から国司が赴任して国政を司っていました。『更級日記』の作者”菅原孝標女”は、上総介として赴任してきた父孝標や家族とともに、夢多き少女時代の四年間を、この市原の地で過ごしています。
京都から上総国へ。日本を代表する古典文学『更級日記』にもその様子が描かれている。
それを記念して、五井駅から国分寺までの道までが「更級通り」と呼ばれているようだ。
彼女の父が赴任していた上総国府の場所ははっきりとわかっていないそうだが、市原郡内にあったとされ、市原市内には「更級」という地名が現在も残っている。
菅原孝標女は、今でいう文学オタクで、彼女の日記である『更級日記』を読んでいると千年以上も前の話なのに親近感が湧いてしまうから不思議。私もそういう文章を残したいなと思った。
商店街「五井東口商店会」
さて、五井駅東口の商店街は「五井東口商店会」と呼ばれているようだ。
ビルとビルの間に街灯が並んでいる。ここが商店街の入り口?
といっても、裏通りは特に商店街の雰囲気はなく、駐車場かビルが並んでいる様子。左手に電気屋さんは見えるが…
そして駅前のロータリーへ戻ってきた。更級通りと命名されているが、モニュメント以外は歴史に関係するものは無さそう。
※追記
更級と言う地名は、五井駅東口再開発にともなって、新しく出来た地名ですよ。更級通りもわりと最近命名されたそうです。
五井駅の見所は西口!次の記事をお楽しみに。
(訪問日:2021年6月)
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地元民です。更級と言う地名は、五井駅東口再開発にともなって、新しく出来た地名ですよ。更級通りもわりと最近命名されました。
上総国国府の場所は、まだ、よくわらないらしいですね。
立花雨情さん、コメントありがとうございます!
市原市の方の歴史は詳しくないので地元の方に教えて頂けて助かります。