市原市・骨董市開催「上総国分寺跡と国分寺薬師堂」にて

市原市・骨董市開催「上総国分寺跡と国分寺薬師堂」にて

市原市の上総国分寺跡と国分寺薬師堂!前回の国分尼寺跡と合わせて見学に。

また、市指定文化財になっている薬師堂は、美しい茅葺屋根が印象的。偶然、骨董市も開催されていました!

市原市「上総国分寺跡と国分寺薬師堂」

千葉県市原市惣社1丁目7−23。前回の記事で訪問した上総国分尼寺跡からは市原市役所を挟んだ目と鼻の先。駐車場があるので車で移動していたら、偶然骨董市が開催されていたことを知る。

上総国分寺跡へ

上総国分寺は、境内は国分寺跡として国指定史跡に指定されている。奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺、教科書で習った歴史的場所が今も体感できるってなんだか不思議。もう少し早く訪れていたら奈良時代への興味が引き出されそうだなと思った。

木株が設置されている場所は、上総国分寺西門跡とのこと。

上総国分寺西門跡

平成5年に位置や規模が分かるように整備されたという。前回の国分尼寺跡と言い、市原市の復原に対する熱意が伝わってくる。

国分寺仁王門
木造金剛力士像について

仁王門の金剛力士像は市有形文化財に指定されている。頭部は江戸時代初期のものではあるが、中世の金剛力士像として房総の仏教彫刻史上重要な位置を占める秀作だそう。

国分寺本堂

仁王門の左手にある本堂。そして国分寺鐘楼の周りには骨董市開催中。

国分寺鐘楼
国分寺将門塔

仁王門の正面にあるのは、国分寺薬師堂。市原市指定文化財。

 

国分寺薬師堂

見事な茅葺屋根と凛とした佇まいに目を奪われた。正徳6年(1716年)に現在の姿に。

説明看板が詳しい。

国分寺薬師堂附厨子について

国分寺薬師堂は、桁行三間・梁間三間のいわゆる三間堂といわれる形式で、正面に一間の向拝(庇)が設けられています。また、周囲には、高欄を付ける切目縁がめぐります。屋根は、茅葺の入母屋造で、建物内部には、内陣天井に植物文様の絵、外陣に竜及び飛天が描かれています。
また、内陣の須弥壇に於かれた厨子は、手の込んだ唐様に作られ、金・朱・緑の彩色が施されています。
清浄院国分寺に伝わる縁起によれば、元禄年中、当地に移り住んだ僧快應が寺の荒廃を憂い、一念発起して、建立の計画を立て、浄財を募るなど、再建に向けて尽力したことが知られていましたが、平成三年の薬師堂解体修理の際、建築部材の一部から、快應の名をしるした墨書が発見され、縁起の信憑性の高いことが、裏付けられました。
また、建築に携わった大工などの名前や出身地名などの墨書も発見され、建築は、惣社村の大工小三郎や有吉村(現千葉市)の伝三郎、五井村の半三郎など、彫刻等は飯櫃村(現芝山町)の秋葉大治右衛門為久、牛熊村(現横芝光町)の松岡貞右衛門常久等の工匠により行われ、享保元年(一七一六)に完成したことが分かりました。

上手く表現できないが、琴線に刺さる外観で気づいたら沢山写真を撮っていた。

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上総国分寺骨董市

そして、上総国分寺で開催されていた上総国分寺骨董市!

上総国分寺骨董市

毎月第四日曜日に開催されている。午前9時~午後4時。
雨が上がり、午前中だったので人は少なめだが無事に開催していた。

境内で様々な骨董商の方が出店している。建築を見に来た方にとっては見学しづらいかもしれないくらい、建物を活用し商品が並んでいる。

骨董市というかフリーマーケットというか…掘り出し物もあり気軽に楽しめた。規模的にも大きすぎず、初めて骨董市を見た父と弟も反応は良さげであった。

そして購入品。

購入品

下は、夷隅中学校の落成記念の盃。長者町立夷隅中学校のことだろうか、そうすると昭和23年開校らしいのでその頃の盃?

夷隅

もう一つは、油忠酒店による小見川子育て観世音の盃。油忠酒店は現在営業していなさそうだが、小見川の歴史を知る上で何かヒントになりそうなので購入。

また、こちらは兵庫県加古川市の多木肥料の前掛け。以前、多木肥料の「あかがね御殿」を見に行ったことがあり思い出があったので…

多木肥料の前掛け

最後に更なるお宝発見!

船橋にあったオートレース場の栞とオートレースの見方の小冊子!

船橋オートレース

船橋オートレース場は2016年に廃止になっている。国内のオートレース場で最も歴史が長く、「オートレース発祥の地」と呼ばれたそうだ。そんなオートレース場の遺物がまさか市原市で。

そして紫色の美しいお皿母はが一目惚れし、食卓を彩っている。

 

 

(訪問日:2022年3月)

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