五井駅周辺歴史散歩。五井小学校跡地・神社・街道起点の道標など

五井駅。小湊鐵道の終着駅であるが、かつては房総往還の宿場町が発展していた街。
今回は、五井駅西口周辺の五井小学校の歴史や神社仏閣を辿り、以前見落としていた五井の歴史を探してみよう。
五井小学校跡地・若宮八幡神社
千葉県市原市五井。小湊鐵道から内房線に乗り換える前に、帰るには少し早い時間だったので五井駅周辺を歩くことにした。1年ほど前に五井駅周辺を歩いた事があり、5つの記事にまとめたのでまだの方はぜひ→五井の記事
まずは五井駅西口から本仲通り方面へ歩いていると、梨の木公園傍に碑を発見。五井小学校の創立百周年記念で設置された碑のようだ。

五井小学校は明治7年創設され、北五井学校を合併、明治19年に現在碑がある地に校舎が建ち、以来85年もの間、高等科・農業補修学校・青年学校の併置があったが、都市改造事業により昭和45年に五井4111番地に移った。
左には現在と重ねたかつての五井小学校の図面が描かれている。梨の木公園がすっぽり覆われる広さ、改造事業によって周辺の道路も碁盤の目のように整備されたことが分かる。今の五井駅前は昭和45年に出来上がった人工的なものなのだ。

守永寺の門前に仮校舎跡の碑。そして松平家信母の供養塔が史跡として保存されている。


本仲通りを超えて、若宮八幡神社へ。

創建は古く貞観年間(859~877)。源頼朝が房総の地から鎌倉への途次に戦勝祈願したとも伝えられるそうだ。
享保年間(1716~1736)に改築されているものの昭和62年に焼失したため再建。


境内では地元の子どもたちが鬼ごっこなどで遊んでいて賑やかだった。

そして特に印象的だったのが社殿裏手にある、境内社浅間神社の富士塚!ごつごつとした岩山を頂上まで登ることが可能。

〇合目など道案内の碑も。周りに人が多かったので今回は登らなかったが、富士山信仰、流山で見かけた以来の立派な富士塚だった。
そして、住宅街に残っていた近代建築はあと一歩遅く解体されてしまっていた。

旧地引医院。皮膚科と胃腸科。木造二階建てで下見板張りの大正期頃の典型的な病院建築…
周辺は再開発で古い建物が一掃されているのでその波でこの建物も。しかし、近くにあるソープランド「五井中央スチーム」は改装されて現役なのが不思議。
レトロなアーケード商店街
五井駅西口の駅前通りに戻り、以前も訪問したアーケード商店街「しんこうプラザ」へ。→ 五井「しんこうプラザ」。再開発から免れたアーケード商店街が幻想的 -五井⑵

洋食・とんかつ「かつ泉」美味しそうだな~
ここは再開発されずにかつての商店街の賑わいを伝えている。

現在、毎月第3日曜日9時~13時には朝市が開催されているらしい。五井駅で朝市となるとなかなか行くのが難しいのだけどいつか行きたい…
旧久留里街道起点の道標
そして駅前通りから房総往還を南へ、一本裏手にある「新田・下宿2号公園」へ。角に碑が二つ建っているのを偶然見つけた。

「旧久留里街道 中往還 起点」と紹介されている。
江戸時代の参勤交代に使用した殿様道の久留里街道の中往還(五井~今富~立野~久留里)の起点がこの地のようだ。


裏に詳しく歴史がまとめられている。有難い。

隣に保存されている道標についての説明。
下宿のこの道標は、かつての房州往還と久留里街道の分岐点にあたっていた。房州往還は船橋から木更津を経て安房方面に向かう街道である。
この道標の正面は「江戸道」を指し、右側面には「た加くら道・きさら津ミち・房州道」と刻まれ、木更津・安房方面(房州往還)を指している。
左側面には「具流里ミち」と刻まれている。これは房州往還から分岐して、久留里城下に向かう久留里中往還の起点を示す重要な道標である。

左側面、中央のきさらづの字は読みづらいがしっかりと道標の役割を果たしていたことが窺える。よく見ると亀裂がいくつか入っているので、以前は分裂していた碑を修復したのだろうか?

碑がある公園付近の道は行き止まりになっており、現在はその道標を頼りに街道を歩くことはできない。おそらく先ほどの駅前の再開発事業によって区画整理されたのだろう。2014年頃は野原だった一角。

かつての歴史が地元の方々によって大事にされているようで嬉しくなった。
大宮神社(五井)
最後に、房総往還沿いにある「大宮神社」へ。

北側、裏手の鳥居から境内へ。
創建は古く日本武尊や源頼朝のゆかりある神社で、本武尊東征の際に創建したと伝えられているという。旧村社。社名の「おおみや」はかつての広大な境内地に由来とのこと。

現在の本殿は、寛政5(1793)年の完成。本平成25年に220年ぶり(寛政5年以来)の改修が行われた。



房総往還までまっすぐ伸びる参道。春になると桜が見事だという。


小湊鐵道~五井駅周辺の探索の1日を終えて帰路へ。
(訪問日:2022年2月)
-
前の記事
牛久商店街の街並み。大正期の店蔵・青銅の看板建築・三嶋神社など -牛久⑶ 2023.03.29
-
次の記事
【琺瑯看板】新聞のホーロー看板、コレクション色々 2023.03.31
コメントを書く