「中央通り五番街」ベニスマーケット、「東の銀座」だった小岩の繁華街の跡 -小岩⑼
サンロード商店街の路地を入ると見つけた「中央通り五番街」の看板。なぜこの裏路地が中央通り?そして五番街なのか?
なんだか不思議な場所だなと思っていた。調べていると、この近くには昭和の映画館があったらしく…そのような名称も納得がいくような気がした。そして、今回の記事を通して今までの記事で謎に思っていた小岩の歴史を紐解くことに成功した!
小岩中央通り五番街
サンロード商店街は小岩駅南口から見える太陽のアーチが目印。その商店街を進み、日本調剤薬局南小岩薬局の建物の右側にある道を進んでいくと、街灯が見えてくる。
その街灯には、確かに中央通り五番街と表示されている。
え、なぜこの細い通りが小岩中央通りなのか?そして五番街とは?色々不思議に感じる。
街灯のある右側は質屋。小岩は質屋がとても多い。→やたらと質屋が多い小岩駅周辺。小岩の質屋特集 -小岩⑶
昔は賑わっていたのかなと思う。
昭和の映画館「あんぐら劇場」
そしてその角にある「ウエノ駐車場」。なんだか異様な色、形をしていて目立つ。
上にあるウエノの錆びた看板も古い。現在は2階でスター卓球事務24が営業しているみたい。昔はディスカウントウエノというお店だったらしい。
前回のフラワー通り商店街の記事でも記述したが、小岩あんぐら劇場という大人向けの映画館がこの近くにあった。
ちょうどディスカウントウエノの左斜め向かい側。現在はディスカウントストアピカソ小岩駅前店となっている場所。映画館・夢の跡という記事で当時の写真が残っているが、かなりどんよりとした雰囲気。平成4年までは少なくとも営業していたみたいなので、それ以降に取り壊しになったことがわかる。
大人向けの映画館が存在したなら、小岩中央通りという名称も納得できる気がする。質屋も近いし、それくらい大人向けの場所として栄えていたのかも。と思っていたらまた新しい情報を得た。
小岩ベニスマーケット
小岩中央通り五番街の歴史が気になり、さらに調べてみた。するととても興味深いことがわかった。
昔は「小岩ベニスマーケット」と呼ばれる闇市があった場所であった。
昭和21年(1946年)、現在のフラワー通り商店街で露天商(闇市)を営んでいた戦災者達が道路整備のために移転を余儀なくされ、小岩用水(幅5.6m)の上に杭を打ち、板張りをし、仮設店舗をつくったのがきっかけだったらしい。
ベニスマーケットの由来はドブ川というわけなのですね。
飲食店から乾物店まで約30店舗、300m近くもあり、「公有水面使用許可」を得ていて、近隣きっての盛り場であった。
その後は衛生面・防火面が良くないことから、地元の方の反対和を受けて昭和37(1962年)年に撤去された。
小岩ベニスマーケットの写真については江戸川区のホームページに同じ角度のものが載っているので確認して欲しい。
小岩ベニスマーケット、そして小岩用水は暗渠化し名残はほとんど残っていないが、唯一関連する場所といえば、昭和通り商店街にある「水天宮」。
以前はマーケットの終点にあったそうだ。なるほど、だから「水天宮」なのか…!なぜ何もない商店街にあるのかが不思議であった。ベニスマーケットと関係しているとは…納得。
昭和通り商店街については↓
「東の銀座」小岩
東京スナック飲みある記というサイトの2011年の記事に小岩がかつて「東の銀座」と呼ばれていたという記載を見つけた。これを見つけたことによって、小岩の諸々の謎(小岩に質屋が多いこと、怪しい映画館の通りに残る小岩中央通り)が解けた。
とても長い文章であるが、引用させていただく。2011年、今から9年前にこのような内容を記事として残してくださってとても感謝です。
いま小岩を歩くひとには想像できないかもしれないが、かつてこの街は夜ともなれば、錦糸町を越えるクラブの店舗数を誇った、城東地区最大の歓楽街だったという。「昔の小岩にはね、ホステスの給料が銀座と同じぐらいの高級クラブが、ずいぶんとあったんですよ」と吉田さんは、懐かしそうに思い出話を披露してくれた。「35年から40年ぐらい前の話になりますが、ホステスはみんな着物姿でね、サラリーマンの月給が1万円だった時代に、5千円のセット料金でした。しかもオードブルは乾き物じゃなくて、クラブなのにお刺身を出してたんだから!」。
錦糸町を越え、銀座と並ぶ歓楽街だったなんて…現在の小岩の姿からは全く想像ができない。こうしたスナックのママさんの記憶を記録に残していることで、令和の時代でも小岩の昭和を知ることができるのは感慨深い。
2011年から35~40年くらい前となると、1970年代くらい?そのころが小岩の全盛期なのかもしれない。
さらに続く。
銀座と同格の高級クラブがひしめき、駅北口側には「ハリウッド」チェーンをはじめとするキャバレーが軒を連ね、小岩の夜はたいへんな賑わいだったらしい。総武線が複々線化され、東京駅を起点とする総武線快速が新小岩から、小岩を飛ばして市川に行ってしまったり、都営新宿線が本八幡と新宿を結ぶようになるまでは、船橋、浦安、本八幡の富裕層にとって、小岩がいわば「東の銀座」だったわけだ。
「東の銀座」…そしてハリウッドチェーンのキャバレー。ハリウッドチェーンは私でも知っている。赤羽と北千住に最近まで残っていた大手。どこら辺にあったのだろう?調べたら居酒屋「浅草バー」の隣、パチンコ屋(カイノスネオス)になっているらしい。高架のすぐそばである。※浅草バーは閉店。
キャバレーの姿は「寅次郎ハイビスカスの花 特別編」にも映っているらしい。今度見たいな。
小岩駅前の怪しいと思った地蔵通りも、「パチンコ横丁」と呼ばれるほどにパチンコ屋がずらっと並んでいたのだとか。「パチンコの組合の会長さんも小岩にいらして、全国的にも有名なところでした」とある。
だから現在の地蔵通りも怪しいと思ったんだよな~↓
小岩地蔵通りの飲み屋横丁。怪しい路地なのに、なぜ地蔵? -小岩⑴
小岩が東の銀座と呼ばれるほどの一大歓楽街だったことが判明した。やはり、当時のことを知る地元の話を聞くのが一番早いな…
今回でわかったこと
・小岩の質屋が多い→小岩ベニスマーケット、小岩パレスが存在し、東の銀座と呼ばれるほどの繁華街だったから。
・あんぐら劇場跡地周辺がなぜ小岩”中央”通りなのか?→小岩ベニスマーケットの跡地
・昭和通り商店街にある水天宮→用水路の終点だった
・地蔵通りの怪しい雰囲気→かつてはパチンコ通りと呼ばれていた
バーっとまとめてしまったのでわかりづらいかもしれないが、全部が繋がった気がする。
現在の小岩中央通り
小岩中央通り五番街の看板は現在も残っている。
下の写真、右側にあるのがピカソ。元あんぐら劇場があった場所。あんぐら劇場の入り口は路地の方を向いていた。
中華料理屋珍来は昔からあるのかな?
広い道路の小岩中央通り五番街を進んでいると、何やら怪しいお店も見えてきた。ハイブリッド?安心なお店らしい。
そしてこちらのスナックTOMATO。かわいらしい外観だが、扉に覗き穴があるのだ。
思わず覗きたくなってしまうが…
小岩中央通り五番街は現在も怪しい?大人向けのお店が存在した。昭和の映画館、繁華街の名残が少しだけ残っているのかも。
小岩中央通りの謎、そして小岩に質屋が多い理由、不透明だった小岩駅周辺の謎が一気に解けた気がする。この事実は小岩の地元の方にとっては当たり前のことかもしれないが、小岩の歴史を全く知らない部外者からすると、0からここまでたどり着くのは大変だった。
(実は小岩中央通りの記事は情報が見つからず、書くのをやめようと思っていたのだった。)
これからの世代の人のために、このサイトで改めて記録しておこう。
(訪問日:2020年9月)
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