布佐城(和田城)&竹内神社を探索。旧布佐町の面影を辿って -布佐⑶

布佐駅からの歴史散歩。今回は、西側の布佐城跡を目指し、竹内神社を参拝して利根川沿いへ向かいました。
布佐城(和田城)跡へ
千葉県我孫子市布佐。前回の続きで、県道4号からスタート。北側の栄橋を渡ると茨城県の利根町布川地域に入る。布佐よりも商店街が残っていそうなのでいつか行きたいが…

今回はとりあえず布佐。住宅街を進み、布佐城跡へ。右手は暗渠かな~

昭和12年に発行された『布佐名所案内』に、竹内神社と布佐城跡が載っているのが気になって向かった。

が、布佐城跡は竹内神社よりもっと西側でどちらかと言えば、隣駅のJR新木駅の方が近いエリアなのではないか?と思ったが、Googleマップのピンでは「布佐城跡(和田城)」が竹内神社の手前にあるので見てみよう。

布佐城は、昨年の大河ドラマ「鎌倉殿」で有名になった和田義盛に縁があるお城だそうで、別名:和田城。
布佐城は、手賀川と利根川に挟まれた台地上に位置し、付近の水運を握る要所となっていたため、何度か合戦が勃発していた。現在はわだ幼稚園の裏側に小山があり、そこから和田氏が造立したとみえる武蔵型板碑が出土し、さらに東の延命寺、勝蔵院にも寛正4年(1463年)及び明応年間の武蔵型板碑、断碑がある[4]。(Wikipediaより)

現在は「わだ幼稚園」の敷地内。外から見学するには限界があるが、土塁の一部?が確認できる。

2017年に執筆された「侍を語る記 和田城 前編(千葉県我孫子市)」にて幼稚園に見学を申し入れて写真付きで紹介されていて興味深い。先ほどの石段をのぼると、稲荷神社の祠と宝篋印塔などの墓石群があるようだ。

閑静な住宅街なので観光地としては紹介されておらずひっそりと残っているだけのようだ。
竹内神社(布佐)
そして布佐城跡から近くにある竹内神社へ。神社の参道沿いには我孫子市立布佐中学校の正門。

松並木と参道
竹内神社の参道、松並木になっていて風情がある…
砂利の上を歩く足音を聴きながら、旧郷社である竹内神社へ。
鳥居と狛犬
竹内神社の歴史は古く、承平年中(931-938)に創建といわれているそう。

文禄2年(1592)森田左右衛門(多右衛と記すものもある)が宮作台の畑で麦の刈りとりをしていたところ、にわかに雷雨となったため、刈りとった麦を積みあげておいて帰り、翌日行ってみると、一夜にして竹の子が生え、白蛇がとぐろを巻いていて、とり入れができないことから、行者が愛宕神社に祈ったところ、「武内神社を此の地に移せ」との神託があって、当地に遷座、社号を竹内神社と改めたといいます。(千葉県寺社案内)
左手の狛犬は子連れ唐獅子で、子宝に恵まれて子孫繁栄の御神徳があると近郷近在に珍しく有名だそう。

狛犬の隣には我孫子市のキャラクターによる感染対策のチラシ。可愛い。


鳥居から見る参道も良いなあ… 右手は個人住宅が広がっている。田の中の参道から時代が移り、住宅に囲まれていった。



鳥居をくぐると少し急な階段。

社殿と石造物
丘の上に建つ社殿は、昭和8年に改築され昭和54年に修復。


社殿の隣にある大きな忠魂碑。

其の台座の角に気になる石造物。

昭和3年、海軍省御下賜品とのこと。

海軍省御下賜品。石碑ではなく外部の石造物として付属で置いてあるのも珍しい気がする。
日露戦争英文記念碑
境内には石造物が多数。まずは左手方面から見て行こう。
こちらは英語で一部文章が刻まれた石碑。英文って珍しいな~

日露戦争英文記念碑として、我孫子市の説明看板が設置されていた。有難い。

明治38年に建設された日露戦争での旅順(中国)陥落を記念した碑。境内に桜樹500本を寄付した際に建てられ、寄付者には柳田國男や地元有力者の名が連なる。



そして稲荷神社が左側に。
こちら、鳥居の位置と狛犬の位置を考えると、この稲荷神社の参道は右折するということか。




また、社殿右手には御嶽神社。手前には神明神社がある。

周辺にも石造物がたくさん。

境内から西側の裏の山道があったのだが、歩いて降りる勇気が無く… 実際は、自然豊かな森林公園「宮ノ森公園」の池に辿り着くらしい。
竹内神社の周辺と裏道の商店
竹内神社の境内から利根川方面を見る。高台にあるので見晴らしも良い。

帰りは東側にある小さな階段を下るが、これは個人の敷地内ではないかとドキドキ。

布佐中学校の脇を通り参道に戻り住宅街へ。
竹内神社の参道入り口脇に構えるのは香取商店。現在も営業中!昔ながらの商店だ。




商店の駐車場とポスト。そしてレトロな花形の街灯が残っていた。
これは、キノエネ醬油のホーロー看板… 残念だ。

参道入り口、小さな商店街のような通りだったのだろうか。
路地を入ると「酒井製菓」「中沢米菓」と気になるお店の情報がGoogleマップに載っているが現在も営業しているかは不明。


次はメインストリートである利根川沿いの布佐の街並みへ。
(訪問日:2022年3月)
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