【船橋散策③】山口横丁で見つけた旅館や食堂。取り残された昭和の面影

船橋を散策するシリーズの第3弾。玉川旅館、海神新地から船橋駅南側の飲み屋街、そして山口横丁へ。山口横丁は南北に伸び、現在も飲食店が連なっている活気溢れる通り。その通りにもほんの少しだけだが、昭和の匂いがする建物があった。また、石のゴミ箱も貴重な資料だ。
船橋の山口横丁
山口横丁は、松井天山が昭和2年に描いた鳥瞰図にも載っている。
妓見番所をはじめ、山口茂夫、新山口…と山口の名前が入った建物が多数見られる。山口という方はどれだけ力があったのだろうか。

鳥瞰図の右手に描かれた道祖神は、規模は小さくなったものの、現在も同じ場所に鳥居を構えている。鳥居は当時のままだろう。夕方に訪れたからだろうか、人を寄せ付けないただならぬ気配があった。

船橋の鳥瞰図は、JR船橋駅の南側に大きな銅板として壁に展示されているため、照らし合わせてみるのも楽しい。

山口横丁では、現在も、山口ビルと書かれた建物が残っており、当時の面影がある。

山口横丁商店会に改名
マイフナの記事によると、2015年に「船橋駅前東通り商店会」から「山口横丁商店会」に改名したとのこと。
山口横丁の名が浸透し始めたのは明治時代に、明治天皇が船橋を訪れた際。明治天皇が成田参詣のときに船橋宿の「山口楼」に宿泊10回、食事5回、小休憩2回を取られたとの記録が。それにちなんで山口横丁に。
現在、本町通に天皇が宿泊した旨の説明看板が設置されている。山口楼の規模の大きさは計り知れない。
山口横丁で見つけた昭和
山口横丁の道では、老若男女関係なく多くの人が往来している。新しいお店も進出しているようだが、その中にひっそりと昭和の名残もあるため、散策していて楽しい。

山口横丁に来たらレトロ電柱はぜひ見て欲しい。地元の方でもあまり気づかない盲点だったりする。

装飾がしっかりと残っているレトロ電柱はとても貴重だ。新緑のツルとの組み合わせも素晴らしい。
斎藤旅館
山口横丁の通りに面した、木造二回建ての古そうな建物。一階は鍵の店になっているが、その隣にも半分だけ見える入り口がある。気になる…。
奥まった怪しい入り口を覗いてみると…
「斎藤旅館」
なるほど、旅館だったのか。現在は旅館とは思えないくらいひっそりとしている。

入り口の前は整理されており、日本庭園のような雰囲気。入り口からは人の出入りがあったが、現在も営業中なのだろうか。この場所で宿泊する人は、山口横丁で遊んで終電を逃した人が多いのかな…(勝手な想像)

昭和38年の住宅地図には、山口横丁に斎藤旅館の文字が見える。

その向かい側には花生食堂。斎藤旅館だけでなく、忠称旅館という名称もあるのでいくつかの旅館があったのだろうか。令和の現在も残る古い旅館、いつからあるのか、気になる。
ビリヤード
次は、ドアのところに、漢字で書かれたビリヤードの文字。2階がビリヤード場だったのだろうか。現在は営業してなさそうだが…
遊興の山口横丁と言われたいたのも納得。


喫茶コパンの入り口が昭和感あって良いな~

花生食堂から裏道へ
山口横丁を語るには外せない建物。それは「花生食堂(はなしょうしょくどう)」ではないだろうか。「軽いお食事」と書かれた看板に誘われる。

花生食堂は、80年以上も変わらず営業している老舗の食堂。建物は古そうだが、常連さんが入り、賑わっている。

気になる方は早めに訪れたほうがいいかもしれない。こうした個人営業の老舗はいつ幕を閉じてしまうかわからないからだ。

花生食堂の建物も、年季が入っており、見ごたえがある。
青いタイル風のトタンと室外機。

食堂の裏手に回ってみると、懐かしい石のゴミ箱が放置されていた。蓋の部分はなくなっており、無法地帯になっている。花生食堂の横から裏手にかけては新しく駐車場になっているが、以前はどのような建物があったのだろう。ぽつんと、食堂だけが残されているような気がする。

花生食堂の脇道を入っていくと、先ほどまでの喧騒が嘘のような静かな路地に入った。

あれ?ここは昭和?
と錯覚するようなこの路地。まだ船橋駅の近くでこんな場所が残っていたとは。
トタン屋根の崩れかけている家。山口横丁の一歩裏手にこんな建物が残っているのは不思議。
アパートも雰囲気が良い。
アパートが連なる路地の片隅に、石のゴミ箱を発見した。花生食堂の裏と、この場所に取り残されたゴミ箱。
こちらは蓋もしっかりと現存しており、もしかしたら現在も利用されているのかもしれない。

山口横丁は駅側に行くと、若者が集まるお店が多く、キャッチにも誘われることが多いが、南側に行くにつれて、まだまだ昭和の名残が残っていた。
開発されている表通りだけでなく、たまには裏道を入る散策も、新たな発見があって良いだろう。
(訪問日:2020年5月)
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山口横丁の名前の由来はこちらに詳しいです。
https://myfuna.net/archives/townnews/20151118184224
しかしなんども行き来している道だけれども見落としのいかに多いことか痛感します。
それだけに観察眼や着眼点のみならず知識を豊富にお持ちなのだなと感服いたします。
いくらかでも昭和を知る身としては昭和レトロという言葉がまだ身の内に落とし込めていないのだなと気づきます。知らないほうがかえって新鮮に(?)懐旧の情を抱けるということもあるのかもしれませんね。
コメントありがとうございます!意外と普段通っている道の方が見落としているってこと多いですよね。私も実感します。新鮮な目線で街を見ることで新しい発見が生まれますね
あれ、コメントしたつもりが残ってない。
山口横丁は山口楼という明治天皇の成田詣の際の定宿だった旅館に由来するとか。
それにしてもよく通る道にも見落としが沢山。