船橋湊町を探索。元質屋の金子邸に残るレンガ壁 -船橋

今回は、船橋市本町から湊町へ。本町通りから南側の漁師町だった面影を探して、短時間だったが歩いたときの記録。
船橋・本町通りから裏へ
船橋市本町3丁目。いつもお世話になっている、本町通りの老舗「廣瀬直船堂」さんに立ち寄るのは恒例行事。
訪問したのが3月頃だったので、可愛いイラストが描かれた煎餅を購入した。

店主の廣瀬さんはとても優しくて、人柄の良さがにじみ出ている方なので、皆さんもぜひ立ち寄ってみて下さい~
今回は、その廣瀬直船堂の西側の裏通りを南へ進む。

以前、記事を書いたがこの通りには映画館があった。「新興館」の名をとって、「新興館通り」という名称も存在していたという。
→【船橋散策④】船橋南側、地図から見るかつての産婦人科、映画館、銭湯…
船橋東映、現在は跡形もなく新しい建物になっていた。
また、新興館通りの名も忘れ去られているかもしれない…

新興館通りで営業していた「大塚酒店」。花屋もあったので他にもお店が並んでいたのかな…

そして、東側には大きな煙突。船橋駅近くにもまだ昔ながらの銭湯がある。

松の湯の向かい側、住宅街に蔵が隣接する邸宅を発見。内蔵(邸宅と蔵が繋がっている)ということは、かなり良いお家だったのでは…

北側には高層ビル、高層マンション。このギャップある街並みがたまらない。
立派なレンガ壁が現存
そしてさらに南へ。もはやどこで見つけたのか、自分でもはっきりと覚えていないが、先ほどの蔵のある邸宅の裏側にレンガ壁が残っていて興奮した。

そういえば、この邸宅、門柱に昔の町名が残る貴重な表札があると教えてもらったことがある気がする。船橋町九日市・金子邸…

2013年の写真が残っていた。
調べると、「当時一流の資産家」と「海浜リゾートの創設と観光資本家」という論文にも記載がある。質屋兼金銭貸付業を行っていたようだ。
そのため、敷地の一部に現在も立派なレンガ壁が残っているのだろう。

周りのブロック塀と比べても高い。昔はレンガ壁が邸宅を囲っていたのかな。
レンガの積み方は「イギリス積み」かな。右手の建物が更地になっているので壁が見やすかった。

本町通りの森田呉服店の隣にもレンガ壁が残っているが、意外と船橋にも残っているものなんだな~とびっくり。

千葉街道沿いのお店
千葉街道に出た。街道沿いにある「ナミキ薬局」の「クマ笹のくすり ササヘルス」という樺bが気になった。

ササヘルスは、高原地帯に自生し、清浄な水と大地に育まれたクマ笹の有効成分を抽出した医薬品らしい。知らなかった。
かつて隣には寿司屋もあったようだ。
向かい側にある建物が気になった。

2階のベランダ部分をよく見ると、ハンマー?金槌?のデザインが施されていて可愛い。

入り口には、鳶と書いてあるので建物にも遊び心があるのは納得。

千葉街道からさらに南へ。漁師町の名残か、裏路地にはまだ舗装されていない昔ながらの雰囲気。何も考えずに歩くのが楽しい。

木造、朽ちかけた古いアパート
船橋市立湊町小学校の北側、笹島テーラー。オーダーメイドスーツなどを作ってくれる、テーラーって最近はあまり見かけない気がする。

そして、その近くに異様な雰囲気の建物が…

小学校の近くにこんなにボロボロな建物が残っているとは…!最近、開発が進んでいるので船橋駅近くにはもう残っていないと思っていた。びっくり。

1階が元店舗で、2階が住居?

2009年のストリートビューを見ると、「釜めし太郎」という看板が残っている。しかし、その時点でも既にほとんど営業していない様子。
また、向かい側にもお店があったことがわかる。商店街のような一角だったのかな…

あまりのインパクトに圧倒されたが、奥に蕎麦屋「中田屋」の看板。

隣の建物で営業中。そば屋なのにラーメンが美味しいらしい。もしかしたら隣の建物のことも知っているかもしれないし、今度伺いたい。

駅から離れているのでこの辺りにお店があることを知らなかった。あてもなく歩いてみても楽しいな~


交差点の近辺には商店の面影がいくつか見られる。

調べているうちに、さらに奥にも商店郡が存在したことを知った…!市場跡らしい。詳しくは次回紹介予定。
※記事の順番が入れ違ってしまったみたいです。すみません。
(訪問日:2021年3月)
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明里さん、
こんばんは。
船橋の金子です。
金子邸の記事ありがとうございます。
私の家は宮本でしたが、犬の散歩でよく金子邸の前を通りました。その作りの立派さに驚くと同時に船橋の金子一族に興味を持ち平五郎さんについても調べたことがありました。確か地元の銀行とか塩田開発?にも参画していたような気がします。
金子は元々鎌倉武士として源頼朝の家来に始まり、今治や長崎に地頭として領地をもらい全国に散っていったようです。その後、北条氏に仕えたので豊臣秀吉の小田原攻めで散々な目にあったようで、その頃集団で船橋に逃げてきたかな?
新興館には幼稚園か小学校低学年の頃に映画を見に行った記憶があります。確か、「東映まんが祭り」だったような…。小さな映画館でした。
太宰の家の近くには日活の映画館があり、子供ながらに裸の変なポスターだなと感じ、見るのが恥ずかしくなったのを覚えています。ビストロフォーナウの裏(西側)の辺りだっと思います。
市場は南老人福祉センターのあたりですね。
肉、魚、布生地、雑貨、色々なお店がありました。
今思うと闇市の名残りだったのではないでしょうか?
ウナギをその場で捌いて売っているのを見るのを楽しみにしていました。
南老人福祉センターの前の道と国道14号の交差点に小さなお地蔵様がいます。50年前くらい?に交通事故で亡くなった女の子を弔う目的と思いますが何かわかれば教えていただけますか?
小さなころの記憶が甦ってきます。
今日も楽しい記事をありがとうございました。
金子さんからコメントを頂けるとは…恐縮です!ありがとうございます!
そういう歴史があったのですね。船橋の歴史と深い関わりがありそうですね…
船橋もまだまだ知らない歴史があり楽しいです!これからも発信しますのでよろしくお願いいたします。
お蕎麦やさんの隣の廃墟は地元民のわたしでも長年謎だったのですごく興味深い記事でした。
物置なんでしょうかね? 続報待ってます!
コメントありがとうございます!昔の住宅地図を調べて分かったら追記しますね!