【船橋散策②】船橋駅南側に広がる「カストリ横丁」とも呼ばれていたディープな飲食街

玉川旅館、海神新地を探索し、船橋駅へと戻る途中。船橋駅の近くにも渋い飲み屋や怪しい形の建物が並んでいる。これらは再開発を免れた一帯であるが、数年前まではもっとディープな場所だったようだ。すぐそばまで開発が迫ってきている船橋。これからどんな街になるのだろう。
旧船橋宿から
海神新地から、船橋駅へと北上していく。
成田街道に面した広い通りに、「西向地蔵尊」と書かれた小さな一帯。かつてここが船橋宿の入り口だったようだ。東京方面から船橋宿へと入る。
この場所には、村人たちが1658年に建てた地蔵尊のほか、いくつもの像が納められており、どれも西を向いている。また、それだけでなく近くに罪人の仕置き場(刑場)があったことから、罪人の供養として置かれているとも言われている。

成田街道に面して、老舗の高級料理店「稲荷屋」がある。創業は慶應元年(1865年)とのことだから、船橋宿の時代から変わらず営業しているようだ。

高級とは書いてあるものの、大衆的ランチもあり、入りやすい雰囲気。鰻がとても美味しいらしい。玉川旅館、なべ三が相次いで閉店し、老舗のこれからが気になる。
ディープな飲み屋が広がる路地
稲荷屋の横道を進んでいくと、わくわくするような路地に。
一番目につくのは、三回建ての白い建物。お城をイメージしているのか、洋風で重厚なつくりになっている。呑み処「みや」が営業しているようだが、建物の内部が気になる。

右手前にある鳥居は八坂神社。鳥居の傍にある玉垣のような石に、興味深い文字が書かれている。国威…陸軍中将…

その裏には、紀元二千六百年記念。
戦争の時から存在していたものかもしれない。下部が埋まってしまっているが、もう少し高さのある記念碑だったのだろう。
八坂神社の隣の飲み屋は、昭和感満載。
PUBインフィニティーは目立つなあ。
お惣菜を販売している「いなか亭」。お弁当も安く販売されていて、良い匂いに誘われる。

その奥には、世界のパンヤマザキ。
こんなに古いヤマザキパンの看板は初めて見た。昭和懐かしい商店街に行くと、必ずといっていいほどヤマザキが目立つ。
隣のくジ付き自販機も気になるな…

船橋駅近くの路地
八坂神社の裏手から、駅側への道も、渋い飲み屋が続いている。小料理「恋(れん)」は店名に惹かれる人も多そう。

建物の奥を指す赤い矢印。路地の奥にもお店があるのかしら?
よく見てみると建物と建物の奥にも、お店がずらり。これだけあると、知る人ぞ知る名店がたくさんありそう。
次の路地も、昼間から薄暗く、良い子を引きつけない大人の雰囲気。人が一人通れるくらいの狭い路地を奥まで入るのは勇気がいる。

ある駐車場の片隅で見つけた木製の小さな鳥居。昔はここで商売をしていたのだろうか。
猿田彦神社の庚申堂。
なぜかこの辺りでたむろっている人が多かったのだが、ゲームのスポットにでもなっているのだろうか。

まだまだ続くディープスポット
京成船橋駅傍には、「総武線沿線遊び場案内所」の看板。その奥にはピンクのマーク…お店の前では、ボーイの方が昼間から立っていた。

電柱には「大蔵質店」の広告。質屋もこういう場所ではお決まりである。
矢印にならって、無料ガイドの方へ。その手前にも、ギラギラした看板が怪しい建物がある。二階の窓が不自然に埋められているのも気になってしまう。

無料ガイドは奥まった路地を進んだ一番奥にあるようだ。レンタルルームSKって…?手前のレンタルルームも気になるし、奥までは怖気づいて近寄れず。

路地の奥に気を取られていたが、実は左手の建物がストリップ劇場だった場所。現在はストリップ劇場の跡地を活かした酒場が営業しているらしい。ストリップ劇場については下の記事で紹介。
船橋遊郭から海神新地への歴史。伝説の「ミネ」をはじめ、ストリップ劇場も【船橋散策①】
ピンクの看板は、駅前の大通りを挟んだ、仲通り商店会でも発見。
「お買い物は仲通り商店会」とピンクの組み合わせが何とも言えない。商店会の入り口に堂々とあるなんて…

船橋駅周辺にもまだまだディープな飲み屋街が広がっている。さらに散策を進めたい…
追記:船橋駅南口、カストリ横丁時代
『写真アルバム 船橋市の昭和』(2016年、佐々木高史、株式会社いき出版)に昔の写真が載っていたので引用する。
国鉄船橋駅の南側にあった飲食街である。戦後すぐに、配給では不足する食糧を求める人や、憩いの場を求める人びとがあてこみ、さまざまな店ができた。カストリ横丁とも呼ばれた。奥に名画座という映画館が写っている。現在の西武百貨店の南側付近にあたる。<昭和44年>
現在のディープな雰囲気の歴史は戦後のカストリ横丁の歴史に繋がることがわかった。そう考えると納得ができる通りだ。名画座という映画館もあり、とても賑わっていたことが想像できる。
「カストリ横丁」は神奈川県の桜木町駅前をはじめ、全国各地に存在したようだ。密造焼酎の俗称であるカストリから、「3合(号)飲むと(酔い)つぶれる」という意味でカストリ雑誌の俗語も生まれたのだとか。船橋駅南口は、子供が安易に近づけない街だったのだ。

写真の奥に見える名画座は『目で見る 船橋の100年』(2007年、神津良子、株式会社郷土出版社)に載っていたので引用する。
船橋名画座(昭和45年)西武百貨店の南側にあった。戦後に開館した東宝系の映画館であった。

今の街並みと少し通じる部分があるような、ディープな昔の船橋駅南口周辺の飲食街。船橋駅南口周辺の歴史も、もう少し詳しく調べてみたい。
(訪問日:2020年5月)
-
前の記事
船橋遊郭から海神新地への歴史。伝説の「ミネ」をはじめ、ストリップ劇場も【船橋散策①】 2020.07.18
-
次の記事
【船橋散策③】山口横丁で見つけた旅館や食堂。取り残された昭和の面影 2020.07.20
コメントを書く