船橋「仲通り商店街」。闇市からスタートした昭和の面影が残る商店街
船橋駅近く、「仲通り商店街」。今までも何度も通ったことがある雰囲気のある商店街だが、改めて記録に残しておこうと思った。
船橋「仲通り商店街」の歴史
千葉県船橋市本町4丁目。船橋駅南口から徒歩3分、船橋駅前通り商店会と山口横丁の間にある東西の細い道。ここが「仲通り商店街」と呼ばれ、現在は飲み屋街のような雰囲気になっている。
闇市が起源?
今回や山口横丁に残るアーチ側から探索をはじめよう。
仲通り商店街は、戦後の闇市がはじまりとされている。被害が少なかったこと、農産物が多く集まり、闇市が開かれ、物資が豊富に集まった様子から「日本の上海」といわれるほど賑わったそうな?
令和の現在も、仲通り商店街の道幅は当時とあまり変わっていないのでは?
船橋駅周辺で最も昭和の面影を感じる商店街かもしれない。
闇市の歴史についてはわかり次第、また追記しよう。
かつてはミルクホールも
仲通り商店街に存在した「ミルクホール」が興味深い。場所は、現在の「杉山畳店」のアーチ側だったそうだ。とても素敵だったのでイラストを描いてみた。
『写真アルバム 船橋市の昭和』(2016年、佐々木高史、株式会社いき出版)に説明が載っているので引用する。
ミルクホール全景である。外壁が銅葺き。窓が洋風の枠で、仲通り商店街のなかでも目立っていた。建築当時のままの風貌は長く親しまれてきた。仲通りと山口横丁の十字路の近くにあった。仲通りは御殿通りの西側、駅前通りに出る道で古くからの道である。<昭和58年>
レトロ電柱の記事でも扱っているが、ミルクホールは今の私たちにはあまり馴染みが無い場所。牛乳を飲みながら交流を楽しむことができるのがミルクホールという場所だったそうだ。
昭和61年の地図に興真牛乳とミルクスタンドの記載があるので、意外と最近まで残っていたんだな…
船橋トルコセンター?
あと「船橋トルコセンター」という場所が気になる。
現在はマンションのサンヴェール船橋本町になっている辺り。
昭和38年(1963)の住宅地図に「船橋トルコセンター」と書いてある。現在もある「あづま履物店」とトルコセンターとの間には「福乃湯」もあったそうで今は跡形もないし、横の道も閉鎖されている。
昭和61年の地図を見ると「船橋トルコセンター キャバレースリースター」と書いてあるのでキャバレーも併設されていたのかな?
昭和30年の地図には無いので、昭和30~38年の間にできた施設と思う。
知っている方がいたらコメントお待ちしております。
仲通り商店街のレトロなアーチ
仲通り商店街には山口横丁側にアーチが残っている。
2010年のストリートビュー
10年前のストリートビュー。ゲームフジは無くなったな。フジはサイゼリヤの隣にあったそうだ。
あと、長崎屋も。1963年の地図を見ると、仲通り商店街の南側に「長崎屋」、北側に「十字屋」があったことがわかった。2つもデパートがあったんだ…
追記:2020年2月に撮影した写真を見ると、右下に「長崎屋」のマークが見える…今年の写真では、消されているのか、見えづらくなっているので気づかなかった。
確かにこの場所に存在したんだな…
アーチの右にある渋い建物は、古美術の「雷(いかづち)」というお店になっていたが、昭和の頃は「杉山畳店」だったようで、杉山畳店がいかに大きなお店かわかる。
「お買物は仲通り商店街」。街灯は2種類?あって良い雰囲気。
街灯の横には昔の仲通り商店街の看板も残っていて、なんだか嬉しい気持ち。
仲通り商店街の現在の様子
仲通り商店街の現在の様子。「杉山畳店」は昭和30年の地図でも同じ場所に載っているのでかなり老舗店だと思う。
建物はそのままで新しいお店になっているところも多い。
ふと、右手に質屋「佐野屋」の看板が。
でも、1963年の地図を見ても書いていない。船橋トルコセンターの名残かな?と思ったが真相はわからず。
「美松」、ラーメンとあんみつのセットを一度食べてみたいな。コロナ禍は休業していた。
仲通り商店街の分岐、北側へ。
飲み屋街のようになったのは最近で、以前の地図を見ると個人商店が多いので普通に商店街だったんだろうな。
そういえば、最近閉店してしまった老舗のうなぎ屋「鶴長」の店舗も仲通り商店街にあったそうだ。
「あづまや履物店」は健在。先ほどの船橋トルコセンターは左手奥にあったと思われる。
右手は高層マンション。かつてはこのあたりに「十字屋船橋店」が。
写真に撮っていないが、左にはピンク系のお店も。
正面は駅前通り商店街。
駅前通り商店街のアーチがあったころは、こちら側にも仲通り商店街のアーチがあったのだ。
昔の写真を1枚だけ持っていた。
2009年のストリートビュー
仲通り商店街がカラフルな国旗で色づいているのがわかる。今と雰囲気が違うな…
仲通り商店街の南側へ。
南側の2009年のストリートビュー
え!「船橋ハワイ本店」って書いてあるけど、キャバレー?看板だけ残っていたのかな…
今は飲み屋街のイメージが強いな~今回調べて新たな一面を知ることができた。
先ほどの「杉山畳店」の建物。この裏路地も雰囲気が良いのでぜひ。
(訪問日:2021年2月)
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ミルクホールありましたね。
子供だったので、古びたお店という印象しかありません。
母は行っていた用ですが、子供ながらに牛乳飲みに行くの?と思っていました。
実際は喫茶店だったようです。
キャバレーハワイは普通に店舗が残ってましたよ。
今は「ワインと泡の店33」というイタリアンバルが入られてます。
あの辺で地下のお店はここくらいしか無いんですが、それは元々ハワイが地下に店を構えてたせいなんですよ。
ほんの10年くらい前まで、ちゃんと営業してました。
情報ありがとうございます!詳しい場所がわからなかったので助かりました。今度お店の方にも行ってみたいです。
一ヶ所気になったところがあるので・・・十字屋は現在のドンキになります。
40年前から船橋に住んでいて懐かしく拝見いたしました。
十字屋の一階にはマクドナルドがありましたね。
そうなのですね!ありがとうございます!
1975年ごろ、中学生だった私は友達としょっちゅうこのミルクホールに入り浸ってコーヒー牛乳を飲んでいました。
大正時代が舞台の少女漫画、「はいからさんが通る」の連載が始まってまもない頃でした。連載を楽しみにしていた私たちは、漫画にも出てくるホンモノの大正時代創業のミルクホールが地元にあることに大興奮していました。
「ミルクホール」は牛乳を飲むところではなく、大正時代から昭和初期に流行ったという文人や学生たちがつどう、ハイカラなコーヒー屋のことです。「カフェー」はお酒を飲むところだったようです。このお店の、牛乳を売っていたおばあちゃんも以前は喫茶店だと教えてくれましたよ。どうして牛乳屋になったのかは聞きませんでした。(ミルクホールだから?)
当時から大正時代のレトロな佇まいは評判で、写真を撮りに来る人は結構いたはずです。
その後私は家族で転居、「はいからさんが通る」が人気沸騰、テレビ化アニメ化された数年後にはもうすでに取り壊されていたようです。高校卒業後、戻ってみたらもうありませんでした。船橋市は史跡として残そうとしたらしいです。はいからさんの影響で大正ロマンブームが起こったのは取り壊された後だったようでした。
古民家を改装してオシャレなカフェにして町おこしの起点にする現在だったら取り壊しはあり得ない、子供心にも印象に残る美しい建築でした!!!残念!
懐かしいです!!
コメントありがとうございます!
ミルクホールについての情報少ないのでコメント頂けて嬉しいです泣
船橋市も保存を考えていたとは… 今もし現存していたら大変な観光スポットになりそうですね。
裏話を教えてくださりありがとうございます!