旧福田村(野田市)|福田村事件追悼慰霊碑/三ツ堀香取神社・泥祭り/旧郵便局
旅館水明荘に宿泊後、近くの旧福田村へ。
関東大震災の際の福田村事件、ちょうど関連する本を読んでいたので気になっていたので周辺を歩きました。そして古い郵便局舎も。
福田村道路元標(千葉県野田市)
千葉県野田市三ツ堀へ。
前回、旅館水明荘に宿泊。大利根温泉のバス停が最寄りだがこの辺りは本数が少ない。

県道7号、北上し旧福田村と旧局舎を目指して歩く。民家、畑、中古タイヤ店…

しばらく歩くと、右手に東屋酒店。


角には道標が電柱に横たわるように残っていた。


南側の角には正一位稲荷大明神。綺麗に整備された境内。

正一位稲荷大明神と県道の間に、福田村道路元標が残っている。

角川書店『日本地名大辞典』によると、福田村は明治22年~昭和32年まで存在。7か村と大青田村の一部が合併したもの。
役場は三ツ堀に。江戸期より利根川の河川交通が栄え、3河岸が存在した。昭和8年には、野田町~水堰橋間の丸三野田運輸バスが開通(私が先日歩いた水堰橋の辺りまでかな)。昭和16年の大水害を機に、土堤で運河はしめきられている。

福田村事件追悼慰霊碑
そして本題の福田村事件へ。
福田村事件とは、大正12年9月6日、関東大震災後の混乱、流言飛語による社会不安の中で、香川県からの行商人15名が自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む9名が殺されたという事件。
辻野弥生 (著)『福田村事件 -関東大震災・知られざる悲劇』が詳しいので合わせてぜひ。また、関東大震災から100年を迎えた2023年、映画『福田村事件』が公開され反響を呼んだ。
読者の方で映画を観た方はどれくらいいるでしょう?
この事件、凄く難しい問題。福田村事件だけでなく、千葉県内では朝鮮人虐殺の事件が各地で起こっている。以前、ブログ記事で取り上げた八千代市の高津観音には慰霊碑がり、毎年慰霊祭も開催されている。→八千代市の「関東大震災朝鮮人犠牲者慰霊の碑」
慰霊碑が設置されているのは、八千代市、船橋市、福田村かな?
県内の他の場所も調べようと思ったのだが、地元の方々にとっては掘り返してほしくない思い出でもあり、調べてほしくないと止められたことがある。その気持ちも凄く分かる、がネット社会の現在、同じような流言飛語の混乱がまた起きてしまうのではないかと個人的に危惧している。若い世代にこそ知ってほしい。いつどこで同じようなことが起こってもおかしくない。
ただ、映画化されたことで迷惑系ユーチューバーが撮影禁止エリアを撮影して地元の方々が迷惑しているとの話も聞いた。興味本位で地元の方々の気持ちを想像せずに取材をするのは間違っている。私もこの作品を観てから、より一層取材に気を遣うようになった。ということで、今回は福田村事件に関する場所の写真は載せない。
三ツ堀香取神社・泥祭り
先ほどの福田村道路元標から利根川方面にまっすぐ歩くと、三ツ堀香取神社がある。

自治会館、民家と並んで古い建物が残っていた。

置いてある看板を見て、先ほどの東屋酒店の倉庫と分かった。

三ツ堀香取神社は、天正年間の創業。

かつて、江戸時代より「天下の奇祭」と呼ばれる「三ツ堀のどろ祭」が有名だった。香取神社の神輿を池に沈め、激しい泥の投げ合いで神輿も人も泥だらけになるお祭り。
平成元年(1989)を最後に担い手不足から休止となっている。
現在は、どろ祭の道具が千葉県有形文化財に指定されている。天下の奇祭、それほどまでに有名なお祭りも後継者不足で消えていく…
その後は県道7号を再び西へ。


旧福田郵便局舎
野田市立福田中学校入り口の交差点に、福田郵便局がある。

その向かいには庚申塔群。

そして旧郵便局舎。今回の最終目的地はここ。この建物を見るために歩いて来た。

「千葉県の近代産業遺跡」によると、昭和15年築。
総覧未掲載
横銭邸(旧福田郵便局)
野田市三ツ堀819
木1
建築年 昭和15年
設計・施工者前を通る道路は、かつて野田市と柏市を結ぶメインストリートでした。郵便業務は昭和51年1月18日を限りに向かいの新郵便局に受け継がれました。
旧田中郵便局 もこの道路沿いにあります。
古い写真には郵便マークの下に右読みで郵便局名が描かれていたらしい。今は消えているわ。
隣の山崎商店で引き返しバスに乗った。


梅郷村道路元標
最期に、東武アーバンパークライン梅郷駅西口の交差点にある道路元標を見に。


梅郷駅周辺は以前歩いたのだが、道路元標だけ見逃していたので再訪したのだった。
(訪問日:2023年1月)
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わたしも「福田村事件」、たいへん興味があります。
いたずらに現地写真を撮ったり(注:実は現地の写真はあまり意味がない)、地元の人たちのプライバシーを脅かしたりする行為は、厳に慎まないといけませんが、そのような史実を「掘り返さないで欲しい」という(地元の)人の意見にも従ってはいけないと、わたしは考えています。
「福田村事件」のようなできごとは、現代でも「フェイクニュース」「情報操作」として、現に起こっているわけで、わたしたちが、深く歴史から学ぶことをしないと、当時のような惨殺でなくとも、“虐殺”事件は容易に起こるでしょう。
※ちなみに「調べないで欲しい」といった声は、どこの事件でもあるようですね…。「名張事件」についても、そういう声が現地であったことをわたしは関係者から聞いたことがあります。
※その「名張事件」も、死去した奥西勝さんの妹さんのことを追ったドキュメンタリーが、年明けに公開されました。歴史に無関心ではいけませんね…。
追記です、
福田村事件保存会の市川正廣さんという方が、以前インタヴューに答えられていて、追悼碑を作ろうとして(出来たのは、今から20年ぐらい前)、候補地が7ケ所あったそうですが、全部 ことわられたとか。そして、「おまえたちは、いったい何をやっているのだ?」と強く非難されたこともあったそうです。
だれもが、自分たちに不都合な史実には「ふたをしたい」という思いはあるのですが、市川さんも「野田市は好きだが、でも語らないといけない、それは事実だから」と「語り部」を続ける思いを吐露していました。
関係者への配慮は必要ですが、沈黙…は、イケマセン、明里さんの「健筆」を引き続き応援しています。