大正時代の船橋における電話の歴史。船橋町の電話創設頃の加入者一覧 

大正時代の船橋における電話の歴史。船橋町の電話創設頃の加入者一覧 

昔の電話番号についての歴史。街を歩いていると度々見かける、電話番号のホーロー看板。以前はその看板についてまとめましたが、今回はその電話番号がどのようにつくられたのか、船橋市に焦点を当てて調べてみました。

千葉県の電話番号の歴史

以前まとめた電話番号のホーロー看板についてはこちら↓
電話番号のホーロー看板(千葉県地域別) 随時更新中!

電話番号と町名などが書かれた電話番号のホーロー看板。陶磁器製、四角や丸いプレートなど様々。意外と千葉県内にもまだ残っていて、古い商家の軒先などで見かけることも。

電話の歴史について、簡単にですが調べてみたものを船橋市中心にまとめます。

明治41年に銚子が創業 船橋は16番目

『船橋の電信電話』(昭和57年12月、日本電信電話公社船橋電報電話局発行)に千葉県や船橋市の電話番号についての情報が載っている。

船橋で電話交換を始めたのは、大正2年(1913)。千葉県内では16番目だったという。

日本で最初に電話交換業務が始められたのは、東京と横浜において明治23年のこと。
その後、明治41年に銚子が創業。当時の銚子での加盟数は41。その後、電話の便利さが認識されると各地へ広がった。
木更津、一宮、八日市場、成田、千葉とつづき、明治時代に交換業務を始めたのは県内で14局だった。

県庁所在地の千葉にしましても七番目ですし、隣の市川にしても十八番目、柏などは大正末期ということで、東京近郊の大都市といわれる所はむしろ遅い方ですね。

千葉県は銚子とか木更津のように漁港を中心に発展してきたからではないでしょうか。

船橋をはじめ、いわゆる東葛地域は戦後急激に発展したところですね。

電話の創設から大正時代の千葉県内の様子が考えられる。銚子、木更津、一宮が電話創設のトップバッターだったとは、驚きを隠せない。
100年近く前の千葉県は今とは雰囲気が違う風景だったんだな~

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高価だった電話

電話をひくのに、明治35年に制定された「特設電話規則」に基づく「特設電話組合」というものをつくってそこに申し込む必要があった。

交換機などの局内設備を覗き、電話機、電話線、電柱などはすべて加入者の負担。
架設費用は現在の金額に換算すると五十万円くらいになるとか。問屋、旅館、料理屋、銀行、官公庁などしか手が出なかったのも納得、と書いてある。

そして加入者の多くは、当時の町の中心であった九日市(現本町)、五日一(現宮本町)が中心であった。

船橋市の電話局

当時、船橋市には「九十八銀行」と「川崎第百銀行」の二つのみしか銀行が無かったという。そして、船橋市の電話局はその「九十八銀行」の向かいにあったらしい。「九十八銀行」は現在の千葉銀行。

現在、本町通りに千葉銀行船橋支店があるが、昔はその向かい側のスーパーの場所に存在したことが以前書いた記事からわかる。→「船橋本町通り」昭和30年代の古写真と現在の商店街の街並み
となると、電話局があったのは現在の千葉銀行の辺りかな?と思っていたが、その後の記述で海老川の脇の郵便局に交換室があったと書いてある。

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電話番号の順番

また、以前から気になっていたのが、電話番号の順番。私は電話番号の若い方が有力者なのかと思っていたが、資料によると…

番号は電話をつけた順なのですか。

どういう方法できめたのかよくわからないんです。俗に良い番号とか悪い番号とかいいますが、ある局ではくじ引きできめたとかいってます。

電話番号は各地域によって決め方とかもあったのかもしれない。個人的には、番号が若い順番から有力者だと思っていた。

警察が42番であることに対して「誰でも嫌う番号ですね。」と書いてあるように、番号の振り分けに関して船橋市は特にルールなどは無かったようだ。

そして、「昭和14年頃に本町五丁目でひいてもらった番号は645番」とあり、その頃には電話番号は3桁になり、広く普及していることが窺える。

そして、昔44番だった電話場昭和28年のダイヤル化の際に2044番に、昭和38年には市内局番ができて、22-2044となった。

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電話は商いと深いつながり

電話は商いと深いつながりがあったというお話が書かれている。

商店での電話の使用~供出

昭和12年頃に船橋大神宮の坂の上に本店があった「野地屋」という商店に勤めていた方は、非常に多く電話を使う機会があったことを述べている。

「穀物の卸とか食料品の卸とかやっていましたので、東京との連絡が非常に多く、電話はよく使いました。当時のお店としては、よく使った方ではないでしょうか。」

また、戦時中は電話も供出したという話も。

「戦争中は寿司屋みたいな商売ができなくなりまして、電器関係のところへ譲ってやってほしいといってきたと聞いております。」

必要度の低い家庭用や料理屋などの電話は、必要度の高い工場や電器店などへまわされ、電話帳の発行も昭和17年に中止。昭和10年発行の電話帳には軍幹部の電話加入が11件と電話も戦争の影響を受けていた。

軍関係の電話
騎兵第一旅団長 311番
騎兵第二旅団長 312番
騎兵第十五連隊長 315番
騎兵第十六連隊長 316番
騎砲兵隊長 542番
戦車第二連隊隊長 543番
鉄道第二連隊長 318番
陸軍習志野学校長 313番
陸軍騎兵学校長 317番
陸軍騎兵学校副官 320番
陸軍騎兵学校附 443番

軍関係の電話の資料も興味深い…
騎兵連隊などは現在の習志野市にあたる場所に在ったが、船橋の電話に所属していたのだろうか?

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津多屋旅館の電話

そして、本町の3丁目にあった「津多屋旅館」の電話の話も。旅館としては相当昔から営業していたようで、お得意様に配っていたという明治時代の絵葉書の写真も載っている。

隣には三階建ての「天満屋」という遊女屋も写っているが、船橋の本町通りに遊廓が存在した話は別の記事でまとめた。→船橋本町通りにかつて存在した遊郭。海神新地へ移転する前の話

そして、津多屋旅館にあった電話室の話。

「私の記憶ですと、廊下の角に電話室がございました。半間四方ぐらいの部屋で、下半分が木で、上半分がガラスでできていました。」

昭和になってから電話は卓上の形になったが、それ以前は電話室が廊下の角などにあったという。確かに現在も歴史ある旅館などに行くと残っているものがある。千葉県内だと、勝浦の「松の家」、大多喜の「大屋旅館」など。

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船橋町の電話創設頃の加入者

当時の記憶からまとめたという船橋町の電話創設頃の加入者の一覧。個人情報にあたるかもしれないので、気になる箇所の一部だけ抜粋しました。

0 船橋郵便局
1 一般事務用
2 佐渡屋旅館
3 江戸屋 酒商
6 東京地方専売局船橋地方販売所
8 回春堂 薬剤師薬種商
10 船橋町役場
11 川崎第百銀行 船橋支店
25 芸妓業
27 一力楼 貸座敷業
28 呉服商(現森田呉服店?)
31 和洋菓子商(現廣瀬呉服店)
39 花月 料理業
40 第九十八銀行船橋支店
41 船橋漁業組合事務所
42 船橋警察署
43 古河内楼 貸座敷業
44 津多屋旅館

現在も営業している森田呉服店や廣瀬菓子店の名前も。
旅館や貸座敷業などが多いのも特徴的ですね~

電話番号から見る歴史、いかがだったでしょうか。このテーマだけでも深堀すると面白くつきませんね~