千葉寺商店会で営業中の「大塚商店」。昭和の青果店が健在
今回は千葉寺へ訪問する前に、周辺の商店街を探索。付近には大網街道が通っており、開発されずに残っている老舗の青果店の方に昔の話を伺いました。
千葉寺付近の商店街へ
葛城方面から歩いて千葉寺町へやってきた。
住宅街の中に緑色に白い鈴蘭のような街灯が見えてきたが、これが千葉寺の商店街の街灯だと思われる。
千葉寺商店会についての紹介によると、
千葉市の名刹、千葉寺の山門に広がる商店街
設立年月 昭和51年9月15日
会員数 59会員
いつの情報か定かではないが、会員数は59と意外と多い。
千葉寺の東側の住宅街には電気店「大塚電器店」が営業中であることを確認し、千葉寺の駐車場の看板が見えてきた。
千葉寺の南側、東西に伸びる県道20号は「大網街道」。千葉から外房線の土気を経由し九十九里浜まで続く街道を大網街道、土気往還とも呼んだそうな。
イワシなどの海産物を運ぶ重要な街道だったため、街道沿いにある千葉寺にも多くの参拝客が訪れていたと思う。そのため、自ずと千葉寺、街道周辺に商店街が形成されたというのも納得できる。
現在の大網街道沿い。昔ながらの歩道が狭い道である。しかし、意外にも住宅が多く商店の姿は今回の「大塚商店」くらいだった。
とりあえず、昔から変わらない雰囲気の「大塚商店」で話を伺うことにした。
老舗青果店「大塚商店」へ
大網街道沿いで営業中の「大塚商店」。まさに昭和の青果店そのもの。
現在は野菜や果物の販売がメインのようだけど、看板を見ると雑貨とも書いてあるので昔は幅広く扱っていたんだな。
店頭にせり出した商品の数々。こういう青果店って近頃少なくなっているので貴重なのでは…スーパーとは違う温かみがある。
この日は夏で暑かったので、ジュースを購入。左のコカ・コーラの冷蔵庫から、確かカルピスを選んだ気がする。
コカ・コーラの冷蔵庫の扉も、なかなか上手く開けられず、年季を感じさせるものだった。
店主のおじいちゃんは優しい雰囲気で、お店や地域のことについて話をしてくださった。
大塚商店を始めたのは約45年前。
宅地開発に伴って持っていた畑を売り、青果店として商売をすることになったのだという。それ以前のこの辺りは畑が広がり、今とは違っていた景色だったようだ。
千葉寺への参拝客はお正月や5月頃が多く、バスに乗って遠方から訪れる人も多いのだとか。そのため、境内から少し離れた場所にも駐車場が設置されていること、以前は千葉寺で行っていた骨董市は来客数が減少したために現在は廃止したことなどを教えてもらった。
最近、骨董市にハマっているので千葉寺で開催されていないのか疑問が晴れて良かった。
開催されていた頃は、大塚商店では青果などを販売していたという。
短い時間だったけど仲良くさせていただいたので記念に写真撮影も。千葉寺に訪れた時はまた立ち寄りたいな。
そして、かねてから気になっていた千葉寺の参道について。他のお寺だったら参道や門前町が発展しているが、ここではそういう参道は無かったらしい。
仁王門の前の坂道が参道かなと予測していたが住宅街のようだ。
きっと、大網街道を歩いて参拝する人が多かったのだろう。
千葉寺についての詳しい紹介は次回の記事にて!
(訪問日:2021年7月)
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18の時に千葉寺の近くの青葉の森公園のすぐ側の住宅街の一軒家に引っ越しました。
都内で一人暮らしだった高齢の祖父を呼び寄せて生活してましたけど、当時青葉の森公園の住宅街は再開発の造成中で空き地だらけでしたね。
千葉市ハーモニープラザもまだ無くて、引っ越した当時は閑散としていた印象でした。
引っ越して2年や3年位で家が新しく建ったり道が整備されたりして、お店も出来たりしてまさに新興住宅地って感じになってましたね。
でも、大網街道を千葉寺よりに行くと昔の住宅街って感じで新興住宅と昔ながらの住宅が道を挟んでいる感じが印象的でした。
大塚商店は何度も前を通り過ぎてましたけど、実際は一度も行った事が無いです。
逆に祖父がたまに買い物をしていたみたいです。
家の近くにセブンイレブンがありましたけど、祖父は足立区の下町の生活が長かったせいか、コンビニとかで買い物をするのが苦手意識があったらしく、昔ながらの雰囲気のこのお店の方がたぶん安心感があったのかもしれないです。
父は青葉の森公園内の県立博物館や公園の緑の雰囲気が気に入って祖父を呼び寄せましたけど、父は博物館や公園に休みの度に行ってましたけど、祖父は博物館も公園も全く興味なかったでした。
高齢者の祖父をいつまでも都内で一人暮らしにさせる訳にはいかないと呼び寄せましたけど、今考えたら祖父にとっては肩身が狭く感じたのかもしれないですね。
コメントありがとうございます!再開発でだいぶ街の様子も変わったのですね
大塚商店は、地域の方々にとっては無くてはならないお店なのでしょうね