寒川神社~房総往還沿いの町並み。佐倉藩の御用港、3軒の銭湯が現役

寒川神社~房総往還沿いの町並み。佐倉藩の御用港、3軒の銭湯が現役

今回は、千葉市中央区寒川町。房総往還沿いを南下する。

古くから栄えた街道ということもあり、街道沿いには時が止まったままの建物や銭湯が残っています。古い建物が好きな方はぜひ歩いてみて下さい~

千葉市中央区・寒川神社にて

千葉県千葉市中央区寒川町1丁目123 寒川神社へ。

寒川神社

前回のつづき。この日は、千葉駅から市役所、出洲港を回り、最後に房総往還沿いを歩くコース。生憎の雨だったので写真は撮りづらかったが、暑いよりは歩きやすい。

房総往還

下総國寒川神社。ホームページに歴史が書いてあるが、度重なる火災で古記録がすべて焼失したため、御創建の年代はわからないという。確かに鳥居も新しい。

鳥居

当社は、古くから海の神として崇敬され盛んに信仰を集めました。当社の沖を船で航行するものは「礼帆(れいはん)」といって帆を半ばまで下ろして敬意を示し、社前を馬で通行するものは必ず馬を下りて下馬の礼をとったと伝えられております。

寒川神社は、古くから海の神として信仰されていた。それもそのはず、房総往還から西は海だったのだ。

旧寒川村は佐倉藩領で、佐倉藩の年貢米を江戸に廻送するための御用港として、また一大漁業基地として、隣接する千葉町(現在の千葉市街)にも勝るとも劣らない賑いをみせました。

その後、明治時代に入ると、寒川に魚市場が設置され、千葉や寒川の魚問屋の旦那衆を中心に信仰を集める。

説明看板

この時代の寒川の象徴は、なんといっても神輿の「御浜下り」でした。白砂青松の出洲海岸に立つ大鳥居から、立ち並ぶ提灯の灯かりにあやしく輝く神輿が海中に渡御する様は、まさに圧巻の一語であったといいます。そして、この「御浜下り」こそが、海の神・寒川神社の神威を示し、漁師町寒川に生きる人々の誇りであったのです。

また、「御浜下り」についての記述も。前回の記事で歩いた、出洲海岸には大鳥居が建っていたというのだ。

現在の千葉港(ちばみなと)である出洲海岸は、最も早く埋め立てが始まった地域とされており、現在は白砂青松の面影はない。「海の記憶写真館」に貴重な写真が載っていて感動した。

Advertisement

房総往還沿い、寒川町

先ほどまとめたように、寒川町は江戸時代には佐倉藩の御用港として、江戸との物資流通の拠点として賑わいを見せた。千葉市内に関係のある港は他にも、検見川・登戸・曽我野・浜野がある。

房総往還

特に重要視された寒川港は、御蔵屋敷が4棟建ち並び、五大力船が40般もあったという。

現在は埋め立てられ、海岸線も遠いが、房総往還沿いを歩くと比較的昔ながらの街並みが残っている。

房総往還を南へ

寒川神社の周辺には営業しているお店はあまりなく、静かな街並み。

花沢商店

花沢商店も閉まっていた。

花沢商店

その先は、片側の歩道が拡張されており、建物が全体的に後ろに下がっている様子。

拡張されている

旧道は歩道がほとんどなく、歩くのに危ないので拡張工事が行われていることが多い。伊藤商店は店舗は新しいが営業しているようだった。

伊藤商店

向かい側には廃墟になった建物。昔はお弁当屋さんだったようだ。

元お弁当屋
トタン板で覆われている

かつて栄えたのが信じられないくらい、房総往還沿いは歩いていて寂しい気分になる。

錆び錆びだな~

交差点に出る。交差点の近くにある郵便局が「千葉市場前郵便局」と書いてあるのが気になった。

交差点

もちろん、現在は市場などは無い。もしかしたら、先ほど紹介した、明治時代に設置された魚市場がこの辺りに存在したのだろうか?調べてもあまり情報が無くわからないが…

交差点の周辺にはシャッターが閉まった商店が並んでいる。

交差点にて

海岸線の方面に伸びる商店郡。市場が存在したころは賑わっていたのかな。

角にある鮮魚店「角金商店」は、魚のイラストが描かれた看板が印象的だった。

角金商店

現在も営業しているのかは不明。

綺麗な看板
Advertisement

①銭湯「石の湯」

そして、交差点の南側から銭湯が3軒並んでいるのが特徴。まず手前にあるのが銭湯「石の湯」。

石の湯

外観は建替えられているが、明治41年(1908)創業の老舗!!明治創業の銭湯って凄い。

銭湯石の湯

石の湯さんのTwitterに、改築前の1995年の写真が掲載されていた。

コインランドリーも

なぜ、この街道沿いに3軒も銭湯が並んでいるのか不思議に思っている方もいるみたいだが、先ほど述べたように、寒川町は千葉市内でも有数の漁師町だったのだ。

漁師町と銭湯の関係は切っても切れない。

海岸線が遠くなった今も、銭湯が変わらずに残っているのは奇跡ともいえそうだが、それほど、地域の人々の中には漁師町の想いが残っているのかもしれない。

Advertisement

寒川町の商店街

房総往還を南へ。寒川町の商店街を記録しておこう。

古民家が並ぶ

銭湯の隣には歴史のありそうな古民家が並ぶ。

建替えが進んでいる場所もあるが、他の街道と比べると房総往還沿いは古い街並みが残っていて歩くのが楽しい。

時が止まっている建物

建物は残っているが、既に閉店している様子。

閉まっている

どのようなお店だったのだろう。石畳が趣深い。

石畳

扉部分には「締め切り」の文字。

街灯が並んでいる様子もなく、商店街なのかわからないが、かつては賑わったのだろうと推測。

商店街のような雰囲気

しかし、現在は狭い街道沿いを歩く人の姿は無く、スピードを出して走る車ばかり…

1階が店舗になっている建物。右は元飲食店かな?

1階が店舗に

左は、縦長の扉。元美容室かな?それにしても、細長くて入りづらそう…

細長い扉

その隣は、名糖牛乳の販売店。

名糖牛乳

並びにも個人商店の面影を感じる建物が並んでいる。

精肉店、青果店、鮮魚店が並んでいたのかな。

歩いていると、銭湯の煙突が見えてきた。これが2つ目の銭湯。

銭湯の煙突
Advertisement

洋館付住宅?謎の邸宅

銭湯の手前に気になる建物があった。

銭湯の手前

一緒にいた母が、「奥に洋館が見える」という。

建物の奥に

奥の建物の屋根に、洋館らしき雰囲気…緑色の屋根が頭を出している。

緑色の屋根

洋館付住宅は、昭和初期にかけて流行した建築。建物の裏を回ると、茂っていて良く見えなかったが、洋風な外観が見えた。海の方に洋館がついているというのは、景色を考慮してのことなのだろうか。

裏に洋館

洋館がある建物の手前の和風建築も立派。

手前の建物

よく見ると、蔵などで見かける「なまこ壁」も。なまこ壁は、防火性、保温性、保湿性に優れ、明治時代~昭和初期にかけて各地でみられたという。

なまこ壁

房総往還沿いに面している手前の建物は、店舗だったのだろうか。旅館業?

街道沿い

2階の戸袋は銅板、素敵な建物だなと思っていたら、窓が割れていた。

 

窓が割れている

先は長くなさそうだ…

Advertisement

②銭湯「梅開湯」

2つめの銭湯は「梅開湯」。ザ・昔ながらの銭湯。

煙突も

3軒の中で建替えをしていない唯一の銭湯で、渋い外観が印象的。

外観が渋い

富士山ペンキ絵、熱めの湯船、井戸水を薪で沸かしたお湯。

建物のは、大正時代に建てられたものだという。千葉県内でここまで古い銭湯は貴重なのでは…

大正時代築

入り口にはタイル絵。

入り口
タイル絵が素晴らしい~
タイルの床

堂々たる煙突。

煙突

漁師的の面影を色濃く残す銭湯の佇まいに惹かれた。今一番入ってみたいと思っている銭湯だ。

いつまで営業しているかわからないので、後悔しないように入りたい。

房総往還

追記:後日聞いたら、建物は築80年とのこと。大正時代という情報とどっちが正しいのかわからないが、現在の店主で3代目。ペンキ絵も素晴らしかったです。シャンプーなど備品はありません!

Advertisement

湾岸道路沿いの寒川そば

銭湯の裏は、湾岸道路で交通量が激しい。一気に現代社会の現実に戻る。

湾岸道路

湾岸道路沿いの「寒川そば」。うどん、そば、カレーライスの看板が良い味を出している。

寒川そば

向かい側にはラーメンショップと京葉線。

日曜日で定休日。

定休日

店内を覗くと、シガレットと書かれたレトロなたばこの自動販売機がみえた。

レトロな自動販売機

③銭湯「大和湯」

再び房総往還へ戻る。

ビューティーサロン大塚

3つ目の銭湯は「大和湯」。

 

 

大和湯

手前には広い駐車場があり、既に多くのお客さんが訪れていた。

看板
コインランドリー

漁師町だった寒川町。

その面影が残る3軒の銭湯。みなさんもぜひ立ち寄ってみて下さい!

(訪問日:2021年7月)