看板建築「信州味噌問屋」。千葉市に残るレトロな建物

”味噌”の文字…
かつてこの辺りはどのような街並みだったのか。一軒だけ残る看板建築から考えてみる。
千葉・岡崎歯科医院
今回の目的の建物は、Twitterの知り合いの方から教えていただいた情報。
京成千葉中央駅から西へ、目的の建物を目指して歩く。新宿緑道から建物へ向かう途中に、岡崎歯科医院の建物と遭遇。

昔ながらの歯科医院。特別に古いというわけではなさそうだけど、こだわりが詰まっていそうな外観に惹かれた。

入り口にある円柱はタイル張り。なかなかオシャレである。

看板建築
交差点の角に佇む看板建築へ。
美しい…!雨が降り始めているのでまだら模様になっているのが惜しいが、青いスペイン瓦が良いアクセントになっている。千葉市は空襲で焼け野原になっているので、戦後の建築かな。

2階の窓も完全に封鎖されており、現在は使われていない様子。周囲にはあまり古い建物が残っていない、しかも高層マンションが建ち始めているので、この建物もいつまで残っているか…

信州味噌の問屋?
そして、注目ポイントは上に残る木製の文字。「信州味噌問屋」とかろうじて読める。

小さな下の文字は剥がれており、側面の文字もボロボロ…台風など自然災害には耐えられなかったのだろう。もう少し早く訪れたかった。

2011年のストリートビューに少しだけ残っている様子が映っている。
金?商店。肝心の商店名がわからない!!

また、壁にも小さな文字が。調味料…?

どの文字も今にも剥がれ落ちそうなくらい危うい。

かつては青い瓦屋根の下におも屋根が伸びていたが、外されている。店仕舞いをしたのはだいぶ前なのだろう。

遠くから見ると、看板建築であることが良くわかる。2階は住居と思われる。

建物の裏につづくのは店舗か、倉庫?蔦に覆われていて全貌が良くわからないが敷地は広そう。

調べてもこの建物に関する記述はないか…
新宿という地名が気になり調べると、昔は「結城野」という地名だったそうで、江戸時代に「寒川新宿」、昭和11年(1936)に「新宿町」に。
すぐ近くが問屋町で問屋街が形成されていたので、その影響で味噌問屋が存在したのかな。

まだこの建物、お店に関する情報は見つかっていない。
わかり次第、追記したい…
(訪問日:2021年7月)
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この辺り、昭和30年代はまだ千葉海岸が埋め立てされて無かったのでノリの養殖に従事してる家が多くて、味噌屋さんは珍しい存在でした。
この味噌屋さんがここで味噌を造ってたのでは無い事を知ったのは、まだ五年ほど前です。
近所に金内さんという方が住んでて、話を聞くと新宿町で味噌を売っていたそうで、家の隣で味噌を造ってたと言ってましたね。
隣の工場跡地は現在車の修理工場に変わってますが、スレートの壁に味噌、新宿などの文字が薄っすらと残ってます。
金〇の文字は金内だと思いますよ。
新宿町で味噌を売っていたと聞いてましたが、まさかここだったとは思いませんでした。