千葉「白幡神社」と近くにある「田子作煎餅本店」で歴史を知る
千葉中央駅から歩いて、千葉のお土産としては有名?な田子作煎餅の本店で一休み。かつての海岸線の話を伺いました!
商店街?町中華「一鶴」
千葉中央駅西口から県道217号周辺を探索。
青い資生堂の文字が印象的なビルは「資生堂販売千葉ビル」。

その近く、上中公園から奥まった道路沿いにある中華料理屋が気になった。

中華料理屋「一鶴」。控えめな看板で気にして居なかったら素通りしてしまいそうなくらい。でもこういうお店が名店だったりするので見逃せない!

左端にはタバコ売場も。昔は中華料理屋でもたばこを販売していたのですね…

そして、営業中!昭和30年代からつづく老舗の町中華らしい。
今回は千葉市役所の周辺で休みの飲食店が多かったので仕方なく駅ビルでランチを食べたのだが、こんなところに良さそうなお店があったとは知らなかった…

ラーメン450円。価格設定も安い。

駅からは少し離れているので、歩かなかったら見落としてたな…
2011年、たばこ売り場が健在の頃。
周辺は商店街といった雰囲気ではない。

だが、斜め向かいに豆腐屋「大岩豆腐店」が営業しているので、昔は商店街だったのかな?

少し周辺を歩いたけど特に目ぼしいものはなく、モヤモヤとした気持ち。

白幡神社
県道217号を西へ、少し歩くと「白幡神社」へ。比較的広い境内で、歴史がありそうなので立ち寄ることにした。

白幡神社についての説明看板。
かつてこの辺りは江戸時代以前までは、結城野だったため、この神社も結城稲荷と呼ばれていたそうだ。
新宿白幡神社の由来は、源頼朝が安房から千葉城主千葉常胤を頼って千葉を通過する際、当地に鎮座していた結城稲荷の境内に陣営を置き、源氏の白幡を立てたことから白幡大明神と称されるようになったらしい。


境内には丁寧に説明看板が設置されており、この神社について知らない人でも興味を持ちやすいと感じた。

狛犬は、昭和20年7月の千葉市を襲った大空襲の際に焼け残った一体だという。凄い…


昭和20年の戦災により社殿は焼失。その後、昭和32年に町民の寄進により再建されたという。

社殿にたどり着く前にも色々と見所がある。
江戸時代中期の流行病の際にお祀りした神様らしい。コロナが流行している今こそ注目したい…

境内の土、よく見ると黒焦げた木々が埋まっているように思うのだけど、まさか空襲の時の?そんなことはないか…

明治38年、郵船会社艀(はしけ)組合による境内敷石寄贈者ご芳名。

白幡神社から海が近かった昔を今に伝える石碑である。

また、昭和31年には土の中から金銅装飾の直刀二振りが発見され、1400~1500年前のものと判明したらしい。また、白幡古墳も発見されたというので驚き。

境内の見所が予想外に多くて楽しかった。そして奥にある社殿へ。


千葉市指定史跡の社殿。よく見ると、屋根瓦のところに逆立ちをしているような、と思ったが、雨水侵入防止のために付けられる留蓋(とめぶた)という鬼瓦の一種らしい。

田子作煎餅本店
千葉県千葉市中央区新宿1丁目20−5。白幡神社のすぐそばにある「田子作煎餅 本店」へ。

田子作(たごさく)煎餅。
千葉市、千葉県に長年住んでいる方なら一度は聞いたことがあるのでは?という千葉のお土産としても名が知られている煎餅。
私も一度聞いたことはあったが、本店がここにあったとは知らなかった…千葉本店以外にも、稲毛店、道場店、銀座店、千葉そごう店など各地で販売している。

ホームページに、旧本店のイラストが載っている。現在も雰囲気は変わらないが、左にあった小さな昔ながらの店舗の建物は無くなったみたい。

家族のお土産を購入するため店内へ。

オンラインショップでも販売されているので遠方で気になる方はぜひ!→オンラインショップ

1枚からも販売している。厳選された千葉産コシヒカリと千葉特産天然醤油ダレを使用した、手焼きのお煎餅。炭火で一枚一枚焼いているという。


田子作煎餅の歴史を伺う
店主の男性に、田子作煎餅の歴史を伺うことができた。
戦前は、煎餅屋ではなく、東京の本所で味噌屋を営んでいたという。戦時中は疎開し、戦後、海外から塩が輸入されなかったため、味噌蔵の原料となる塩を求めて、千葉市の寒川製塩組合に加入し、製塩を始めた。

塩の輸入増加にともなって、製塩は廃業。広大な塩田や近隣の良質な米や醤油を活かして、煎餅屋として創業したのがはじまりだったという。
店舗を構えたのは昭和30年(1955)。現在は埋め立てられて、塩田が広がっていた景色は想像もつかない…
また、店内には船から譲り受けたという電話も展示されていた。

英語で書かれている。黒電話とはまた違った珍しいタイプだな…

お店の脇に置いてある大きな樽は、かつて味噌を作っていた時代のもの?今は不要なので撤去する予定と話していた。

また、店主が小さい頃は、海が近かったという話も。
田子作煎餅のすぐ西側、国道14号から海だった。だが、昭和30年代から始まった大規模埋め立て工事によって姿を消してしまった。

歴史を伺ってから街を歩くと、ほのかに海の香りが漂ってくるような気がした。

(訪問日:2021年7月)
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昔は地元の銀行の頭取とか、政治家、煎餅好きの歌手の水原弘も公演の帰りにここの煎餅を買って食べていたそうです。
今では人気の濡れ煎餅の注文もあったそうですが、こんなものはうちでは作れないと断ったそうです。
以上は元社長の長島百里さんの話でした。