「千葉銀座商店街」、千葉パルコが閉店した銀座通りの現在は…

今回は、千葉銀座商店街について。
千葉市を代表する繁華街だった商店街は、千葉パルコが閉店した現在どのような様子になっているのでしょうか。千葉銀座周辺の歴史についてまとめます。
千葉銀座通りの歴史
千葉県千葉市中央区中央3丁目。かつて京成千葉駅が存在した、千葉市中央公園から南へ伸びる通りは「千葉銀座通り」と呼ばれている。

写真の左に見えるのは三井ガーデンホテル千葉の建物。

1958年に撮影された銀座通りの七夕祭りの写真。モノクロ写真なのに、街の賑わいが伝わってくる一枚だった。

昭和45年(1970)までは千葉市吾妻町と呼ばれ、花街である「蓮池」も存在した。→【蓮池通り】かつての一大花街「蓮池」の過去と現在、そして不思議な料亭 -千葉⑵
現在も銀座通りの店頭に蓮池と書かれた提灯が飾ってある様子を見ると、後世に歴史を伝えていこうとする取り組みを感じる。

全国各地に”銀座”と名の付く商店街は多数存在した。千葉銀座もその一つ。
2008年のストリートビューでは巨大なアーチが立っていた。
しかし、現在の通りには、YouTube動画の再生ボタンのような赤いオブジェが設置されているだけ。チェーン店が目立ち、昔から営業している個人商店の姿は数少ない。
かつてのような賑わいは感じられなかった。

千葉パルコが閉店
千葉銀座がひっそりとしてしまった要因の一つに、千葉パルコが閉店したことにあるといわれている。
千葉市中央公園の南側に、1976年12月に開店した千葉パルコが存在した。2016年11月30日で惜しまれつつ閉店。現在は完全に更地になっていた。


少し昔の地図にはしっかりと、千葉パルコの姿が描かれていた。


2016年のストリートビュー
私自身は千葉パルコに思い出はないのだけど、千葉パルコとなる以前は、地元百貨店「田畑百貨店」だったという歴史が興味深い。
古着屋として1947年に創業した「田畑百貨店」、千葉そごうやニューナラヤと対抗し、増築するも火災、売り上げ不振で閉店。その後に千葉パルコになったという。→さようなら~千葉パルコ(旧田畑百貨店)

跡地は、タワーマンションが2023年3月完成予定だという。→千葉日報「千葉パルコ跡にタワマン 23年3月完成目指す 中心市街地活性化へ」
千葉パルコが撤退した後、人の流れが減少した銀座通りに賑わいを取り戻すことはできるのでしょうか?
また、近くにあった千葉三越も2017年に閉店している。→三越千葉店跡地。ニューナラヤから三越へ。現在は解体工事中…

そういえば、最近では津田沼パルコも2023年2月に閉店するというニュースが…パルコが千葉県から消える日も近い。

千葉銀座で長年営業していた「中島書店」。昭和6年に創業し、2019年8月31日で閉店。88年の歴史に幕を閉じている。→出版不況の荒波「力及ばず」 千葉の中島書店が88年歴史に幕
近くの千葉パルコ閉店の影響も強く受けたという。買い物帰りの客がごっそり消え、売り上げ減に直結した。
老舗の書店も千葉パルコ閉店の影響を強く受けているようだ。
2015年のストリートビュー
跡地は、シモジマ千葉店となっていた。

蕎麦屋「阿づ満庵本店」
行列ができる人気店の蕎麦屋「阿づ満庵本店」は変わらずに営業中。

昭和5年創業。先代から受け継がれる抹茶入りの「茶そば」は、毎日店内で打っています。古くからのファンも多く、千葉を代表する味。
一度入ってみたいなと思ったが、平日のランチ時間でサラリーマンの方や主婦の方々で賑わっている様子だったので断念。
その隣は雑居ビルだが、なんだか古めかしい。

ビルの入り口を見たら、「千葉銀座ビル」と書いてあった。昭和40年、千葉県旋網漁業協同組合が建てたということだろうか?


きぼーる通りへ
そして、千葉銀座通りから東へ伸びる「きぼーる通り」へ。

Qiball(きぼーる)は、公共施設と商業施設が入居する官民複合施設。元々は扇屋ジャスコで平成4年に閉店している。
きぼーる周辺には渋いビルやお店もまだ少し残っている様子。

ビルの奥に見えるのは呉服店「藤代染物店」。ここだけアーケード屋根ががあるのが気になったが、昔は全体的に屋根が連なっていたのかな?

ビクターマークが懐かしい、富士電機のビル。

その並びには昭和感満載の「よろづや金物店」。ビルに挟まれて営業している姿にびっくり。

周辺は開発されてビルが建っているが、町の金物屋さんだけは変わらないでいて欲しいなと思った。

追記:創業から73年、2021年末で閉店するようです。
公立千葉病院跡
また、市指定文化財に登録されている「公立千葉病院跡」の記念碑が設置されているので紹介。

明治9年、院内町にあった共立病院が現在の中央区中央に移り、公立千葉病院と改称し医学教場を付設しました。その後明治15年7月に県立千葉医学校とその附属病院と称し、明治21年4月には第一高等中学校医学部と県立千葉病院と改め、明治23年9月に猪鼻台に移転しました。現在の千葉大学医学部とその附属病院の前身です。この碑は昭和35年10月千葉大学医学部創立85周年記念会が設立しました。
現在の千葉大学医学部とその附属病院の前身がこの場所に在ったことは知らなかったな~石碑が設置されているのは有難い。
次回は千葉市美術館へ。
千葉三越も閉店した記事を以前書きましたが、セントラルプラザなど千葉銀座では多くの商業施設が閉店しています。三越千葉店跡地。ニューナラヤから三越へ。現在は解体工事中…
(訪問日:2021年7月)
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旧パルコの東側にある千葉市文化センター周辺には、10年程前まで古い料亭などが残ってましたね。やはり蔦が絡まってジャングルの様な状態でした。今から思うと信じられ無い様な細い道だらけでしたよ。
この辺りには昭和30年代まで映画館だらけでした。
500m四方に5館もありましたので、今では考えられない密度です。
邦画の東宝、東映、松竹、洋画の千葉劇場、成人映画の新興館(新光館だったかも)までありましたので、映画が最大の娯楽だったのかも。
今では千葉劇場だけになり、寂しいもんです。
中央公園を挟んでパルコの向かいには千葉にっかつがありましたね。パチンコメトロの2階。
昭和末期まで千葉銀座はとても活気がありました。ちょうど吾妻庵の前の歩道に、瓦斯燈を模した街灯がありますが、これも平成に元号が代わる頃設置されたように記憶しています。
吾妻庵の海老天は大振りで大変食べ応えがあります。近くに支店もあるのですが、お品書きは、同じものではないので、どちらもおすすめです。それにしても、店舗跡の駐車場の多さには商店街の空洞化が顕著に現れていて、かつての活況を知る者には残念でなりません。
三井ガーデンホテルから14号を東に100m程進むと老舗の高田人形店があったのですが、最近取り壊し工事をしてる様で、老舗の店がドンドンと消滅しています。
ところが昨日(9月20日)に取り壊し工事中に突然崩壊してしまい大惨事になるところでした。
あのビルは窓が多くて壁の少ないビルでしたから、元々強度不足のビルだったのかな?
角にある富士電機のビルは、昔は子供が集まる模型店で、プラモデルとか模型飛行機など売っていた店ですよ。店名は子供屋模型店だったかな?
千葉県で有名な作家の椎名誠が子供時代を書いた小説の中に出て来る模型店で、千葉市の繁華街に来ると必ず立ち寄る店だったそうです。新町にもメトロ模型店があったのですが、此方に付いては言及してないですね。今のそごう千葉店ジュンヌ辺りにありました。