文化堂ビル|京成千葉中央駅前で65年! 千葉を見守ってきた建物のこれまでのお話

千葉市中央区富士見2丁目の「文化堂ビル」。

京成千葉線・千葉中央駅からすぐ近く。今年で65年を迎えるレトロな建物が、新たな息吹を得て生まれ変わろうとしている。
今回、かねてより気になっていた文化堂ビルの歴史や建物について、詳しくお話を伺うことができたので皆さんにご紹介したい。
さらに今回は、まいぷれ千葉とのコラボ記事です!プロジェクトの思い、これからについて取材されてます↓
1960年建築の文化堂ビルが大規模リニューアル! 千葉の懐かしい風景が、再び輝く舞台の幕あけ
『時をこえて再会を。文化堂ビルで。』過去の記憶に出会える場所へ【まいぷれ×Deepランド特別企画】
千葉中央駅周辺の変遷と文化堂
まず、文化堂ビルとその周辺について。
「文化堂ビル」基本情報
文化堂ビル|BUNKADO BLDG
「時をこえて再会を。文化堂ビルで。」
■旧文房具店から複合商業施設へ
■1960年に竣工したレトロ建築
■千葉市中央区富士見2丁目、京成ローザから徒歩すぐ
■過去の記憶に出会える場所
SNS:Instagram
一時、解体の話もありながら、株式会社高品ハウジングによって耐震補強・改修工事が行われ、人々の記憶・歴史を横断するランドマークとして保存・活用が行われている。Instagramなどで見学会や歴史の情報も発信されているので合わせてチェックを。
千葉中央駅周辺の歴史
文化堂ビルが千葉中央駅前に建設された当時、周辺では一番高い建物として目立っていたそう。掲げられた文化堂の看板が目立つ。

下図は図面に残っていた案内図。黄色が京成千葉駅、赤色が文化堂ビル申請地。

千葉中央駅自体、変遷が激しい。
大正10年に千葉駅として開業。のちに京成千葉駅、千葉中央駅へと改称された。

駅の開業時は、現在の千葉市中央公園付近に存在し、戦災からの復興都市計画などに伴って、現在地へ駅が移ったのが昭和33年。
駅には地上4階、地下1階からなる京成千葉駅ビルが竣工され、エスカレーターは当時県内唯一のものだったそう。
そして同年に映画館「京成ローザ」が開業した。

現在、文化堂ビルがある千葉中央駅周辺の裏通りは大人向けの繁華街のイメージも…
文化堂ビル3代目元代表によると、昔から飲食店はあったが徐々に夜のお店が増えていったと。第一勧業銀行の支店や千葉銀行中央支店(現ダイワロイネットホテル)、テーラー石渡など、オフィス街だったと教えていただいた。
また、昔から千葉市に住む方にも当時の話を伺ってみた。
「この辺りは50年位前から飲食店、飲み屋街ですよ。50年位前は賑わってた地域でよく飲みに来ました。JR千葉駅寄りの富士見町よりは安全な店が多かったと思います」
「昔は千葉中央駅の東側に大きなバス停があり、そこから京成電車からバスに乗り換えたり、バスから京成電車に乗り換えてたので、東側は人出が多かったんですよ」

当時、大衆の娯楽だった映画館に多くの人が集い、飲食街が形成されたのも自然の流れのように感じた。
終戦から8年。焼け野原から復興を目指す地域の人々にとっても千葉中央駅は文化発信の地であり、再開発によって変わりゆく街並みの中で、文化堂ビルはその駅前に変わらず佇んできた。

文化堂の歴史と建物
次に、文化堂ビルを形づくった文房具店時代とその建物について。
株式会社文化堂の支店として
大正10年、千葉市院内にて創業した老舗文房具店。のちの株式会社文化堂。

書籍、文具、事務用品を扱っていた。
昭和35年9月、千葉市富士見町に支店を開設。これが現在の文化堂ビル。

ちょうど千葉中央駅が現在地へ移転した頃と重なる。その後、平成22年まで営業していた。
文房具店として営業していた頃は、1階が文房具店、2階が大きな機材などを展示するショールーム(のちに営業事務所)、3階は倉庫として利用されていた。20年ほど前に1階はコンビニ「スリーエフ(現在のローソン)」となった。

現在の黒い外観とはまた違った印象の改装前の文化堂ビル。この時すでに建設当時よりも改修されており、当初は窓の下のレンガ部分がピンク調の色味だったという。
文化堂の方にインタビュー
今回の記事を作成するにあたり、株式会社文化堂の元3代目に話を伺うことができた。
Q:千葉中央駅近くに支店を作った理由を教えてください
A:千葉中央駅が昭和33年頃に開設されたため、それを機につくった。
当時、文化堂はリコー、日本タイプライター、などの総代理店であり、千葉県中の代理店として活躍していた。事務機のイメージを持たせるために、3階の上にリコーのネオン看板を設置。当時、3階建てのビルで事務機を販売していたのが全国的に珍しかったため、視察などもあった。建設当時は、総代理店制度の走り出しのタイミングであったが、その後メーカーの生産に代理店が追いつかないことも発生し、他の代理店も増加し、競合が増えていった。
Q:文房具店としてどのような方が利用していましたか?
A:地元に支店を置く、大手企業や、周辺の中小企業、県庁、市役所、県警、学校(教科書)などの官公庁、また一般の方々など。京成のバスを利用するサラリーマンなども、待ち時間などに利用していた。バスを待っている方が1階で本を立ち読みなどもしていた。
2階を営業の方が事務所として利用していた。
Q:文化堂の方から見た文化堂ビルの存在、思い出はありますか?
A:1階に入ってすぐ吹抜けがあって、銀行のようなおしゃれなイメージであった。1階の小売業では、いろいろな人が出入りしていたので、記憶に残っている。
ビルのできた当時は地元で長きにわたって商売をしていたため、文化堂としてのブランドによって安心感があったとは思う。リコーや日本タイプライターの機材を主として取り扱っていた。時代とともに、機材の需要が減ってくるとともに、競争が非常に激化していった。
文化堂が千葉中央駅前に開業した頃の思い出だけでなく、当時の日本の時代背景も垣間見た。
昭和30年代のレトロビル
最後に、文化堂ビルの建築としての魅力について。
昭和35年(1960年)竣工。鉄筋コンクリート造3階建て。

当時としては先駆けの鉄筋コンクリート造(RC造)に注目して建てられた。開業当時の写真を見ると大きな看板が設置されているが、これは当時の流行りだったとのこと。

角地を上手く活かしたレトロなオフィスビルの中には、大理石の壁や鉄の複雑な形状の窓など、職人の手わざが今も残っている。
2024年6月から始まった改修工事では、築100年を目指した耐震補強工事が行われた。
旧耐震基準にて計画されたビルの耐震診断、補強工事のためにプロジェクトチームが組まれ、建物の魅力を損なわないように、そして次に入るテナントが中長期的に利用しやすい改修となった。


そしてここは、駅から千葉市美術館へ向かう「美術館通り」の玄関口でもある。
2025年のグランドオープン後は、歴史や人をつなぐ場所として、ショーケース内の展示も変わってゆくという。
昭和30年代の建物だと皆さんにとっては身近な年代かもしれないが、既に65年が経過しており、こうした昭和の建物こそ意識的に残していかなければ残らない建物になっていく。
そのため、今回のプロジェクトには千葉県内の昭和の建物の利活用における先進的な事例として、これからの活動にも注目していきたい。
読者の方で文化堂ビルでの思い出をお持ちの方はコメントをお寄せください。

コラボ記事をお声がけくださったまいぷれさん、取材にご協力いただきましたサステナデザイン株式会社さん、ありがとうございました!
「時をこえて再会を。文化堂ビルで。」
▽まいぷれ千葉の記事
1960年建築の文化堂ビルが大規模リニューアル! 千葉の懐かしい風景が、再び輝く舞台の幕あけ
提供:サステナデザイン株式会社
施設名:文化堂ビル
住所:千葉市中央区富士見2-23-7
アクセス:京成千葉線 千葉中央駅より徒歩1分
千葉都市モノレール葭川公園駅より徒歩3分
JR千葉駅より徒歩10分
公式Instagram: 文化堂ビル
テナント賃貸に関するお問合せはこちら:
株式会社高品ハウジング
文化堂ビルリニューアルプロジェクト
不動産・企画:サステナデザイン株式会社、株式会社高品ハウジング
設計:ヤマサキアトリエ
施工:松栄建設株式会社
構造設計・施工:株式会社キーマン
アートディレクション:川島康太郎
(訪問日:2024年12月)
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昭和35年頃の駅前はガラガラだったんですね。これも空襲の影響が残ってたからかな?
巷には傷病兵などがお金を下さいと、街角に座り込んでた時代ですからね。
これが昭和50年代になると殆ど空き地は無かったと記憶しています。
それにしても、このビル何故二階と三階を吹き抜けにしたのかな?
背の高い物でも展示するのでしょうか?