千葉「吾妻町通り」。割烹料亭”の建物に魅せられて
千葉神社の北側の細い道に、異様な雰囲気を醸し出している建物があった。元料亭の建物。
今回の通りは「吾妻町通り」と呼ばれている。静かな飲み屋街が広がっていた…
千葉神社の裏手
千葉神社の西から南北に伸びる細い道。表通りの妙見通りから裏道へ入る。
この辺りには控えめなレトロな街灯があるが、商店街名は書いていないようだった。
千葉神社の裏手は初めて歩く。そば屋「春木屋」は閉店していた。
元割烹「幸松」の建物
吾妻町通りと妙見通りが交差する角に、異様な雰囲気の建物が眠っていた。
全体的に緑の蔦に覆われていて全貌がわからない。
2008年はまだ看板が見えていたが…
とても歴史を感じる建物。千葉市街地は空襲に遭っているので戦後の建物だとは思うが、美しいなと感じる。
ここは元料亭の「幸松」。朽ちてはいるが現在も人が住んでいるようなので、不法侵入などはしないように…
木製の入り口。花街として知られた蓮池にも料亭の廃墟があるが、当時の贅を凝らした建物は朽ちても尚美しい。
料亭の入り口は半分シャッターが閉まっている。
入り口の看板の文字もかすんで見えない…
今回の探索で一番衝撃的だった建物。次回訪れた時は残っているかどうかは怪しい。
飲み屋街が広がっている吾妻町通り
料亭の建物があるならば、と周辺を探索することに。
西側は大人の街・栄町に通じる。
地図上で吾妻町通りと表示されている裏通りを北へ進むと、ただの裏通りではないことが肌感覚で伝わってくる。
両サイドに並ぶ居酒屋、パブスナックの看板…カラフルな建物が街並みを彩る。
先ほど見た控えめな街灯も。かつては看板がかかっていたのだろうか。
残っている建物も表面の壁が剥がれて危険な状態。全体的に裏側は木道の建物が多いようだ。
建物と建物の間、ふと気になって覗いてみると奥にもお店が続いていた。飲み屋横丁がこんなところに残っていたとは…気づかなかった。
奥までお店が続いているが、昼間だったので営業時間前。
吾妻町通りの飲み屋街は有名なのだろうか。
近代建築?千葉華僑総会の建物
そして、またしてもびっくりした建物がこちら。
千葉華僑総会の建物として活用されているようだ。
そして、入口のところには電話番号1123のホーロー看板が残っていた。千葉市内で残っているのはレアです!
押し売り・ゆすり・たかりのホーロー看板も。
少し斜めにデザインされた入り口。
窓の状態も昔のまま…
表側には増築されたような小屋。元々は違う用途の建物だったのでは?と思ってしまう。
建物の裏側へ。2階建てで現在は使われていない様子。
なぜか惹かれてしまう…
私が持っている住宅地図は見切れていて役に立たず。残念。
コリアタウンとしても知られる栄町。焼け野原となった市街地に戦後のどさくさに紛れて多くの韓国人が不法占拠したことがはじまりとされているが、その面影を垣間見た。
遠くから見た飲み屋街の裏側。かつては手前の駐車場にも建物が密集していたのかな。
吾妻町通りの周辺
先ほどの華僑総会の建物の向かい側にも元飲み屋のような渋い建物。
営業している雰囲気が無い建物も多く、街全体が静か。
ここは本当に千葉市なのか…
さらに細い道へ。住宅街かと思ったが元居酒屋の雰囲気が残る建物も多い。
看板建築風?のアパート。
とある空き地を覗くと、再開発事業に伴う代替公園として使用してきたが事業が終了したため、放置されているとのこと。ネズミが走っていた。
公園とは思えない荒れ放題の空き地…
千葉市内は何度も歩いているが、何度歩いても新たな発見があるな…特に栄町の辺りは千葉駅近くにいるとは思えないギャップを感じる。
そして妙見通りへ出た。本田海苔店の細長い建物は健在だ。
次回は千葉銀座通りへ。
(訪問日:2021年7月)
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