”陸軍衛生材料本廠”の水虫液の瓶(25g)を拾った話

”陸軍衛生材料本廠”の水虫液の瓶(25g)を拾った話

今回見つけた瓶は、かなりレアです…

陸軍に関係する瓶。まさか、そんな特殊な瓶が町中で眠っているなんて、衝撃的でした。

空き地で発見した、謎の瓶

街中を探索していたときに、ふと気になった空き地を眺めていた。既にロープで囲われているので敷地内には入れず、外から眺めていた時に、ちょうどコンクリートの道路が剥がれている手前の部分に、透明なガラスが見えた。

取り出すと、ガラスの質感がそんなに古く無さそうだし、キャップもついているので、「また新しい瓶か~」と肩を落とし、土に戻そうとしたとき、エンボスが見えたのだった。

土の中から拾った瓶

土に埋まっていたので、表面に土がついていてぱっと見は新しく見えたが、形やエンボスが入っていることから、持ち帰る事にした。

サイズは、縦8センチ、横4センチ。比較的容量の大きい瓶である。謎な瓶だな~と思いつつ、洗うのが楽しみで仕方が無かった。

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水虫液の瓶

そして、洗浄した状態がこちら!

洗浄後

表面には、堂々と「水虫液 25g」と書いてある。

なんと、水虫の液体が入っていた瓶だったのだ。うおお…

水虫液

目薬や他の薬瓶と比べても大容量なのは、それほどに水虫に悩まされる人が多かったのだろうか。

メディカルαの「水虫のくすり」という記事に、水虫の歴史がまとめられていて興味深い。

実は江戸時代の日本では、水虫は水田で働く農民や、川に入って洗濯などをする女性の足に出来る病気でした。
そこで当時の人は、正体不明の虫がたかり、痒くなるものと考え、水虫という名前をつけたのです。

「水虫」の名前が文献に初めて登場したのが江戸時代。とはいえ、庶民の大多数が下駄や草履での生活だったため、大流行はしていなかったという。

その後、昭和初期、軍隊で靴の着用が義務化されたことによって、水虫が大流行。その流行り方は凄まじかったらしい。

表面は新しく見える

靴を履くことによって水虫が大流行…現在も、水虫人口は2100万人ともいわれているそうなので、侮れない病気だ。

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陸軍衛生材料本廠の瓶

水虫に一番悩まされていた陸軍。そこで用いられていたのがこの瓶だったのだ。

陸軍衛生材料本廠

裏面には、陸軍衛生材料本廠のエンボス入り。材料の部分が消えかかっているが、かろうじてすべて読むことができる。

また、角にはスポイトを差せるような窪みがあることから、瓶が箱に入っているときに収納できるようになっていたのだと思う。

角に窪み

陸軍衛生材料本廠は、陸軍で使用する「衛生材料」などの購買・製造・貯蔵・修理・支給・交換・試験を行っていた部署のことらしい。

ガラスの表面は、気泡もそんなに入っておらず、しっかりとした厚みのあるガラス。庶民が使用する瓶よりも陸軍のものは、丈夫につくられていたのだろうか。

また、この瓶を発見した場所は、陸軍の施設跡などではなく、古いスナックの跡地だった。どういう関係性があるのだろう。

検索してもこの瓶はほとんど情報が出てこないので、お宝をゲットできて嬉しいかぎり。

 

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