外房線「安房天津駅」から海沿いの商店街。先進的な漁村に残る看板建築
外房線の安房天津駅へ!天津漁港沿いの国道には、近代建築が好きな方にはたまらない看板建築がいくつか残っており、建物が好きな方にはぜひ歩いて欲しい街並みでした。
外房線「安房天津駅」
千葉県鴨川市天津1016。外房線「安房天津駅」へ。かつては、天津小湊町(あまつこみなとまち)だったが、2005年に隣接する鴨川市と合併し、鴨川市に。
つい最近まで窓口が存在したような気配を感じていたら、令和元年、3年前に終日無人駅になったとのこと。観光案内の看板もあるが、無人駅なのでひっそりとしている。
昭和4年(1929)開業。駅舎は昭和62年(1982)改築で、コミュニティセンターと隣接している。
駅のベンチには、「まんが日本昔ばなし」と清澄寺の広告。千葉県で二番目に高い清澄山に建つ、清澄寺は安房天津駅の北側に位置する。駅からは路線バスで約20分とのこと。
日蓮聖人が御題目を唱えられ立教開宗した地として知られる。名前はよく聞くけど今まで行ったことが無いので、いつか行ってみたいな…とりあえず今回は安房天津駅周辺を歩いてみよう。
天津町の歴史について、角川書店『日本地名大辞典』に詳しく載っている。
元禄年間頃から紀伊や摂津などの先進的漁業技術をもつ漁民が当村付近に多く土着・定住化し、天津浦は隣接する浜萩浦とともに中心的湊として発展した。
文政10年の職業構成は、農業62・漁業457・商業312・旅籠屋2、人数3546。商業については直取質屋21・湯屋8・髪結い12など(県史料安房)。
奥州諸藩の廻米船などの停泊・避難地でもあり、文政年間には江戸の風俗文化がかなり流通。また、海岸沿いには古くから安房国と上総国を結ぶ街道が東西に伸びていることからも、現在も近代建築が残っているのでは。
さらに、先ほど紹介した清澄寺への参道道が、多間川沿いに北上しており、昔の人々は街道から清澄寺まで歩いて参拝に向かったのだろうか。
安房天津駅前の商店街
安房天津駅前は、ロータリーと日東交通バスの車庫があるくらいで商店は現在は無い。
駅から国道沿いへ。駅前通りにある二階建ての建物は居酒屋やスナックなどが入っている小さな飲み屋街的な場所。
正面に見える「あぶらや食堂」、営業しているのか扉を開けてみないと分からないくらいひっそりとしているが、日替わり定食700円とのこと。
ヤマザキショップが正門前で営業中。
駅からメインの国道に行くまでに思っていたよりも歩くので、1時間に1本の電車の本数に合わせて1時間以内で探索するのは大変だった。
左にあるのは松本書店。昔ながらの書店が営業しているのは嬉しい~
並びには鮮魚店「金定商店」。
国道128号の交差点。初日の出日本一のまち、初めて知ったな~
撮影し忘れてしまうほど存在感のない天津町道路元標が建物の脇に…半分以上埋まっているので気づかなかった…また行かないとなあ。
鴨川市役所天津小湊支所を通って東へ。しばらく歩くと、右手が海、左手が山と路地が広がる。これは路地の隅々まで探索したくなる…
天津郵便局の並び、三階建てのホテルのような建物が残っていた。現在は使われていないようだが、昔はホテル?旅館だったのかな…
天津町・伊南房州通往還沿いの商店街
かつて江戸の風俗文化が花開いていたという天津町。湯屋が8軒も存在したことに驚いたが、漁港だからという理由にしても多い気がするが現在は一軒も無い。
以前まとめた銭湯一覧の記事では、末広湯と服の湯が存在したことが分かっている。→千葉県銭湯一覧(廃業含) ~木更津・館山・鴨川市~
国道128号、伊南房州通往還沿いの商店街を東へ歩く。
道路のギリギリまで建物が並んでおり、歩くときは注意。昔ながらの道幅が残っているのは嬉しいが、街歩きは気を付けなければならない。
こちらの豆腐店の佇まいが素敵。今は営業していないようだが…
〇に、丸吉かな?木造平屋建て、看板建築のような造りになっているが現在はトタン板で覆われている。ファザードには文字が入っていたのかな~
隣は伊勢徳商店。さらに進むと、スーパーマツダヤ。2012年は営業していたが、私が訪れた時は閉まっていた。
スーパーの隣に、野村酒店、きりや化粧品店と続くので商店街らしい町並みになってきた。しかし両方とも、2012年は営業していたが閉まっている。
「たいカード」は商店街のスタンプカードの名残かな?
「みなと蕎麦」は海を眺めながらお食事を頂けるらしい。隣接する建物の雰囲気から旅館業も営業していたのでは?と思ったので、今度行った時に聞いてみたい。
中野商店と看板建築
天津漁港が近くなってきた。
角にある中野商店は、海産みやげ製造直売とある。
イカの塩辛、かわはぎ、みりんぼし、わかめ、ひじき…
そんな中野商店の隣に、立派な看板建築が残っている!
クリーム色の外壁に、緑色のひし形のデザインが何とも言えず可愛らしい!江戸の文化がここまで伝わってきていたことを実感するようなハイカラな建物だ。
果たしてどのようなお店を営んでいたのだろうか。それを確認できるものは無かったが、隣接する中野商店と関係があるかな?と思ったり。
建物の奥の住居部分含め、新しく外壁もリフォームされているようなので現在も大事に保存されているのだろうか。天津町でこんなに爽やかな看板建築があると思っていた無かったので驚いた。
かつて隣には古いクリーニング店の建物も。現在更地なので看板建築が見やすい。
追記:地元の方より
クリーム色の看板建築は40年前位は布団屋でしたが借りて営んでいたようで、元々の商売は不明とのこと。映画館の情報も教えてもらったので今度行かねば!
斜め向かいには、老舗旅館の蓬莱屋。
明治時代創業と歴史は古いが、館内はオシャレなホテルで、海が見える屋上展望露天風呂が人気らしい。私が訪れた時はちょうど工事中だったが、想像以上に煌びやかな館内に圧倒される。
天津町の代表的な看板建築
いよいよ、天津町を代表する看板建築へ!国道128号沿い、蓬莱屋の東側にある。
粕谷板金の看板がある建物の隣、淡いピンク色の看板建築。
1階部分に同じ、粕谷板金の看板があるので所有者は同じ方なのかもしれない。2階の中央に青い模様が施されていて、中央に窪みがあるデザインはまるでハートマークのようだと感じた。
向かいの建物も、左右に倉庫を備えた立派な土蔵造と思われる店舗。
2012年時点で営業していないのが残念だが、海産物問屋とかだったのかなと想像する。
一番の見所は、こちらのピンク色の看板建築!!炎天下の中、駅から歩いて来た甲斐があったなあ~
淡いピンク色のモルタル仕上げ?海風に当たっていると思われるが、外壁は綺麗。新しく見えるので戦後の建物かしら?
昔は建物正面右二階部分の角に看板が付いていたと思われる痕跡が見える。
でも、正面の文字は木製。しかも右読みなので戦前のものなのだろうか…
上:薬品化粧品食料品
下:中?院?金堂
下にも同じく木製の文字があったが、2021年9月時点では半分無くなっていて判別不能。
2012年のストリートビューでも一部欠けている。
1階、入口の扉は木の扉がそのまま残っており、店内の様子も少し見える。白い棚が薬局のような雰囲気を醸し出していたが、薬品化粧品を扱っていた名残かな?
欄間にも注目!!中央のガラス部分がワインレッド!なんてオシャレなのだろう…
淡いピンク色に黄緑色が良いアクセント…この町の看板建築は総じてオシャレだなと感じた。やはり、江戸から伝わってきた文化が花開いていたのだろう。
引き続き国道沿い。
少し歩いた先には、四谷商店。こちらも手前は覆われているが、平屋の蔵造り店舗に見える。
商店街の街並みが続く。現在は静かな商店街…右手のファッションショップ「キリヤ」は2012年頃までは営業していた。
その向かいには、和菓子屋「飴長」。店名からして良さそうな菓子店だが、既に閉業しているのが惜しい。
”千葉県知事賞の店”きっと美味しかったのだろうな~
2012年のストリートビューで、看板が残っていた。「御菓子 鯛せんべい本舗」とある。
SEKINEの看板。あまり馴染みが無かったので調べてみると、セキネサイクルとしてホーロー看板の広告もあるほど有名な自転車らしい。
天津町・仲宿
国道沿いに仲宿のバス停が建っていた。仲宿という表現から、ここが天津町の中心街だったのだろうか。
湯屋が8軒存在したと冒頭で調べたが、この辺りにも存在したのだろうか。旅館の姿も、現在は蓬莱屋しか見当たらず。
仲宿らしい立派な建物が目の前に現れた時は感動した。大きなショーウィンドウがかつての繁栄を物語っている。
2012年のストリートビューを見ると「伊勢常呉服店」と文字が残っていた。
現在は横についていた看板も無くなっており、扉もしっかりと施錠されている。
電話番号は73番。天津町の電話番号のホーロー看板を見かけたのはここが唯一であった。
手前につい気を取られていたが、裏側の建物もかなり古そうだ。こういう建物は文化財などの登録は受けずにひっそりと無くなってしまうのだろうな…
さらに並びにも魅力的な建物が!
閉業されているが、元豆腐店の建物!2012年頃は営業していた。
右下の窓の土台が、石膏?タイル張り?豆腐と文字が描かれている。
しかもその隣には、これまた立派な防火用水。”仲町火除防水”とある。
同じく2012年頃は営業していた、金高青果店も閉まっている。
過去のストリートビューを見ていた気になったのだが、右奥のガソリンスタンドが、以前は三井石油だったようだ。
三井石油からENEOSへ…
ガソリンスタンドの横道を入っていくと、元民宿の建物。
民宿の「きたむら」別館とのこと。本館は右手に見えている木造二階建てかな?
その裏道に残る古民家は屋根の分厚さから考えて、元々は茅葺屋根?!
きたむらの本館は国道沿いに面していた。先ほど見えていた木造二階建ては繋がっているらしい。
2012年では看板が残っているが、現在は営業していないようだ。建物も荒廃していて残念。
ストリートビューで確認すると、ピンク色の下見板張りの木造二階建て旅館。これは歴史を感じる…営業していたら一目散に泊りに行ったのに。
国道沿いをさらに東へ。なまこ壁が見える建物。青銅の戸袋も美しい。
ここまで歩いてしっかりと記録に残している人は少ないだろう…確かに現在は閉まっているお店がほとんどだが、魅力的な建物が残っている。
黄色い外壁の建物も、元々は商店だったのだろうか。
建物の見学をしていたら、日蓮宗宗門史蹟、日澄寺へ到着。
電車の時間が迫っていたのでここで引き返し、日澄寺はまた別の機会に…建物だけでも魅力が多かったな~
(訪問日:2021年9月)
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時間の無い時によくぞこれだけ取材出来ましたね。お疲れ様です。
看板建築、これだけ残っているのも素晴らしいですね。
拙宅を取り上げて頂き、丁寧に取材して頂いてありがとうございました。最近友人に教えられて知りました。私も古い家が大好きで、味わい深い建物がどんどん潰されていくのは口惜しく思っておりました。
2016年にコチラの古家を購入し、できるだけ自力で中をコツコツと直してきました。
ここは登記簿によると明治23年築の土蔵作り。でも外壁は、仕上げの仕方から、大正末期から昭和初期に改装された模様です。私も近所の方に色々昔の事をお聞きしています。
ところで今度店部分に手を入れて、アートギャラリーをオープンすることにしました。11月の毎週末は開けている予定なので、お時間あればぜひお立ち寄りください。
返信が遅くなりました。明里と申します。
Instagram、拝見させていただきました!とっても素敵な雰囲気にうっとりします。土蔵造りなのですね。今度伺った際に、建物や活用の経緯についてお話を伺いたいです。今後ともよろしくお願いいたします。