野田「愛宕神社」。明治36年築造の「愛趣園」と周辺の商店街 -野田⒆
今回は、「愛宕神社」と境内にかつて存在した「愛趣園」について取り上げます!野田の本町通りからも近いので野田を探索する際はぜひ立ち寄ってみて下さい~
愛宕神社
千葉県野田市野田725。最寄り駅は東武野田線「愛宕駅」。今回私は前回記事に書いたように、本町通りを北へ歩いて来た。
交差点に愛宕神社の鳥居が見える。
正式名称は、「下総野田愛宕神社」。江戸時代後期、1824年に再建された本殿が現存、千葉県の有形文化財である。
野田町の野田町の鎮守として崇敬を集めた。また、江戸時代後期の夏、大かんばつが発生し、野田町や山崎村で雨乞いが行われた。その雨乞いが祭礼として行われるようになり、「野田のつく舞」として千葉県指定の無形民俗文化財に登録されているという。
本殿の彫刻や奥には太鼓橋なども残っているという。鳥居から本殿までの距離があって近づくのを躊躇ってしまったのを後悔!今度はじっくり見学しよう…
実は、本殿よりも気になってしまったものがあった。
愛趣園
境内に建つ柱型の説明看板に「愛趣園」と書いてある。これは一体?
愛宕神社の境内地で二千五百七十三坪の公園がそれですが、明治三十六年 至徳会により築造されたもので、明治三十五年は天候が不順で大不況になったので、困窮者の救済のため愛趣園が起業された六十余日の日時を賞し完成されました。
明治36年に至徳会によって築造された、2573坪の公園。現在は、境内にある休憩スペースとなっている。看板が無かったら全く気付かなかった…
ちなみに、野田醤油による愛趣園のはじまりは、公園整備と井戸掘りだったが、そのときの突抜井戸と庭園跡は西光院の墓地寄りの奥にあるそうだ。また、この事業と功績を讃え、伊藤博文から書が送られている。
また、調べていると昭和43年(1968)に発行された『郷土資料時点 千葉県・観光と旅』にも紹介されていた。
愛趣園
面積20万㎡の園内には、愛宕神社や至徳泉があり、フジや菊の名所でもある。愛宕神社は加具土命を祀り、裏の西光院とともに野田山神宮寺跡である。また至徳泉は、明治35年に1年半の歳月を要して掘られた突抜井戸で、良水不足に悩んでいた土地の人々に、活気とうるおいをもたらした泉として知られている。
今から50年近く前は、観光案内本に載っているほど美しい庭園だったのだろうか…驚きを隠せない。
商店街「愛宕商会」
愛宕神社から愛宕駅へ向かう、県道3号沿いに街灯が並んでいる。
「愛宕町会」とあるので愛宕駅から神社にかけて発展した商店街であることが分かる。
今回は愛宕駅前は探索せず、愛宕神社前の交差点からさらに北へ。
愛宕神社の西側を通る流山街道を歩いて、もう一駅歩く。街道沿いに面した大きな建物は元衣料品店?
愛宕神社の北側の辺りは道路拡張工事が行われたようで古い建物が一掃されていた。メガネ店「さいとう」は建物が残っているが商店街としての活気はない…
商店街「清水第四町会」
そして街灯が愛宕町会から「清水第四町会」に変わった。調べても情報が無いが、街道沿いに商店街が存在したのだろう。
道路拡張されずに残っている昔のままの風景。木製の塀が並ぶ邸宅、門も立派で普通の邸宅とは思えない。野田の醬油醸造関係のお宅でしょうか?
追記:地元の方より
現在は廃業されているが、元々は醤油の樽を造っていたようだ。
一番気になったのがこちらの建物。「古橋輪業商会」、自転車屋である。
今はホームセンターなど大規模店舗で購入する人が多いだろうか。
その先を進んでも商店街の雰囲気は無く、ほとんど閉まっている。左から精肉店、薬局店、青果店…
スーパーに行かなくてもこの通りで買い物ができた時代はずいぶん昔のことだろう。
最後に派手な外観の中華料理屋「上海」が気になった。
営業中の看板があるが、2015年頃から扉が閉鎖されているようだ。赤い扉にステンドグラス、良い雰囲気。
その隣に、旧専売公社跡地があるので専売公社が存在したころは宴会の場所として利用されたのだろう。
旧専売公社跡地については次回。愛宕神社も愛趣園に注目して今度また見てみよう。
(訪問日:2021年8月)
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おそらくだが・・
木製の塀が並ぶ邸宅、門も立派で普通の邸宅とは思えない。野田の醬油醸造関係のお宅でしょうか?
の塀の家は義弟の実家ですね 笑
今はやってませんが元々は醤油の樽を作っていたお家です
なんと!ご親戚の方の邸宅でしたか…!醤油を入れる樽を造られていたのですね。興味深いです。