富津「青堀温泉」。大正期からの歴史ある温泉街「静養園」「喜楽館」 -青堀⑷
青堀温泉。皆さんはご存知でしょうか?今回は、富津市大堀にある温泉地・青堀温泉の歴史を紐解こうと思います。
今まで私は全然青堀温泉について知らなかったのですが、知れば知るほど、現役の時に訪れたかったなと心から思う旅館が残っていました。
青堀温泉の歴史
千葉県富津市大堀、青堀温泉の歴史について。
『房総ガイド』より
昭和38年(1963)発行の『房総ガイド』より引用
千葉県の温泉めぐりのカテゴリー内で4番目に青堀温泉が紹介されている。
~ここの静養園の先々代安室保五郎さんは石油を掘ろうとして鉱泉を掘りあてた。これが青堀温泉静養園の起りである。ただいまは泉温二十七度ヨード・グローム温泉として売出している。ここも湯はコーヒー色で豊富だ。それを利用して温泉プールもある。海水浴からあがってきた子供たちが泳ぐ。
青堀温泉、静養園のはじまりは先々代。鉱泉を掘り当てたって凄いな~明治から大正時代の話。
さらに、温泉プールも存在していたことに驚き。
この町は昔から繁華な町で、静養園のほかに、喜楽、蓬莱館などの温泉宿がある。小糸川の河口で昔は京浜地方との連絡があり自然の港であつたのが、大正の大地震で土地が一メートルも隆起して現在のような浅い河口となつてしまつた。
青堀、昔から繁華な町だったのですね…喜楽は喜楽館。蓬莱館は今は面影がなく、調べても情報が無い。どのあたりに存在したのだろう?
富津(国定公園)を控えて将来性のある温泉地帯だ。それに、富津から神奈川県へ新両国橋をかけようという大構想が着々と進んでいるから、青堀の将来は全く大きな希望に輝いている。
将来性がある、と青堀について期待されているが、令和を迎えた60年後の現在、青堀温泉は壊滅…このような将来になってしまうとは誰も予想していなかったはず。私もとても残念です。
『郷土資料事典』より
昭和43年(1968)発行『郷土資料事典』にも青堀温泉が少し紹介されている。
青堀温泉
[泉質効能]ヨード・食塩・ラジウム・カリ泉,26~30度<浴用加熱>。胃腸病・神経痛・リューマチ
市内大字大堀。房総西線青堀駅の北約600m、徒歩10分。
富津岬の木更津側根元にある。
『富津市のあゆみ』より
ラジウム鉱泉 小糸川河口付近・青堀・富津・飯野・大貫地区の地下にはラジウムの含有量が多いラジウム鉱泉が埋蔵されています。地下300メートルから800メートルくらい掘り下げ、自噴する鉱泉と共に天然ガスが湧出します。現在大堀地区では二つの旅館がこれを利用して温泉の認定を受けています。昭和26年には県で地下埋蔵資源調査のため富津で試掘し、湧出したラジウム鉱泉で保養所を造りましたが今は廃止しています。
大堀地区の温泉旅館がこの後紹介する二つの旅館のことだろう。
『富津市史通史』ラジウム鉱泉
明治三十年代に大堀一五二八番地静養園が堀りあて、続いて大堀一五七番地喜楽館も大正初めに地下約一○○〇尺(約三三〇メートル)から上総堀りで噴出させ、ともに、自噴の淡褐色の鉱泉を、同時に噴出する天然ガスを用いて浴用にしている。
静養園=大正2年に浴場を開業
喜楽館=大正11年に検定を受けている
『隠れて優秀な温泉新案内』
大正15年発行『隠れて優秀な温泉新案内』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1020443/1/77
青堀駅前には静養園の自動車が浴客の送迎をしている。
『名勝温泉案内 15版』
昭和3年発行『名勝温泉案内 15版』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1178642/1/276
和室三十三、洋室二を有し、費用は最低二圓
静養園、洋室の客室もあったようだ。
『日本温泉案内 東部篇』
昭和5年発行『日本温泉案内 東部篇』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1176519/1/110
青堀温泉について詳しく記載されている。この付近一帯は要塞地帯に属すため撮影写生等は厳禁、とのことで青堀の写真は少ないのかも。
土産物は「温泉パン、温泉カステーラ」。気になる!
ホテル静養園
千葉県富津市大堀1528番地。青堀駅から徒歩10分ほど、国道16号沿いにある静養園へ。
青堀温泉・ホテル静養園の案内看板が出ている。
露天風呂 男・女別浴
大人800円 小人300円
さらに大きな縦看板も残っていた。
青堀温泉最古の源泉
「琥珀の湯」ホテル静養園
地下七百米からの自噴泉
「琥珀の湯」、コーヒー色のお湯が気になる…そう思いながら国道から一本裏道へ入った静養園の入り口へ。
え、封鎖されている…
調べると、正式には2019年4月30日に廃業したとのこと。ホームページも見れなくなってしまっている。広大な駐車場も封鎖。
「温泉と歴史探訪」のブログによれば、まだ封鎖されておらず、地元の方の通り道になっていたみたいで廃業後の写真が掲載されている。
”自噴泉だったので、今でもむなしく源泉が垂れ流れていた”とあるが、現在はどうなのだろう?
2018年に書かれた「【千葉県】青堀温泉に起こった大変化と、今も残るもの」に廃業前、休業していたことが書かれている。2018年3月にWi-Fiを通した矢先の休業、廃業に。
2012年のストリートビュー
グーグルマップには、口コミが61件残っており貴重な記録を見ることができる。
古い建物で賛否両論があるが、私は歴史を感じる寂びた旅館がとても好きだ。もう少し早く知っていれば…訪れたかった。残念…
『写真アルバム 木更津・君津・富津・袖ケ浦の昭和』に静養園の記述がある。
古くは小糸の作の出身の井戸やさんであったが、その特殊技術である上総式井戸掘りで、初めは石油を掘り当てるつもりであったという。しかし、六百間掘っても石油が出ず、沃度と天然ガスが出てきたので、それを利用して旅館業に転じた。薬効があるというので両国の力士たちがよく来た。早く自動車を導入したころの写真である。
両国の力士たちもよく訪れていたのですね!
また、静養園に関するFacebookの投稿がいくつか。
また、先ほどのブログには青堀温泉だけでなく、君津市の小糸川にも温泉があったことが書いてある。
<小糸川>
小糸川沿には、河口に「人見温泉」(君津市)、「青堀温泉」(富津市)があり、上流に「小糸川温泉」(君津市)があります。
人見温泉は、「神門コミュニティセンター」。「小糸川温泉」はホームページもしっかりと存在する。今度行ってみたい。
ホテル喜楽館
そしてもう一つの温泉旅館は、静養園の少し北側、喜楽館。千葉県富津市大堀1571。
国道沿いには「青堀鉱泉前」のバス停。昭和23年に温泉法ができるまで青堀鉱泉と呼ばれていたそうだ。
ホテル喜楽館のホームページが現在も残っている。創業は明治十年。
富津市観光協会の観光サイト「たび旅富津」に紹介されている。
地元・富津に愛される☆豪快☆なお造りとコーヒー色をした天然温泉
創業明治10年のホテル喜楽館は、南房総国定公園の入口に位置し、海のレジャーの宝庫富津岬や、マザー牧場、鹿野山、鋸山、東京湾観音、ゴルフ場に近く、南房総めぐりの拠点です。池と滝のある日本庭園を眺めながら、江戸前の新鮮な魚介類をお楽しみいただけます。又良く温まる温泉でごゆっくりおくつろぎ下さい。
海の幸スペシャリスト
青堀温泉ホテル喜楽館は、永年地元の漁師さんや水産会社と築いてきたコミュニケーションにより旬の海幸・その土地の海の幸をご提供いたします。必ず素材ののちがいにお気付き頂けると思います。
『それって温泉?』『はい。コーヒー色した天然温泉です。』
源泉各:青堀温泉
温泉法第2条に掲げる(炭酸ナトリウム)の項で温泉法の温泉に適合。法律で認められた温泉です。スポーツ合宿も、好評にて大歓迎です。
しかし、建物の入り口を見る限り営業している雰囲気が無いが…調べてみるとこちらも現在は閉業とのこと…青堀温泉は歴史に幕を閉じてしまったのだろうか。
グーグルマップの口コミは48件。グーグルマップでは廃業とあるがネットには予約の情報も残っているので定かではない。もし営業しているのであれば泊まってみたいが…
富津の古写真をまとめた『写真アルバム 木更津・君津・富津・袖ケ浦の昭和』に昭和8年の写真が載っている。
東京方面からのお客も多かったそうだ。喜楽館の庭園から人見の妙見様を望む写真。また、小糸川での舟遊びも合わせて紹介されており、「大堀の喜楽館に宿泊した旅人は、夏の一時、ユカタ姿でこの中橋から川舟に乗って清遊を楽しんだ。」そうだ。
その他の旅館
青堀に残るその他の旅館、ビジネスホテル新栄。
また、君津市ではあるが、近くには「旅館かわな」が営業中。
貸切露天風呂が人気の老舗旅館。
大正からの歴史ある青堀温泉は歴史を終えてしまったが、旅館かわなにいつか泊まってみたいと思う。千葉の知らない魅力を知る事が出来て楽しかった。
(訪問日:2021年9月)
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70-80年代、まだ富津公園周辺が観光地だったころの大堀育ちです。
君津に新日本製鉄が創業した60年代、富津にも九州や北海道から人々が流入、子供たちも多かったので商店街はとてもにぎわっていました。
山久百貨店、山晴堂、どさん子ラーメン、クロワッサン、化粧品店、靴屋、喫茶店など、とても懐かしく思い出します。
現在は実家が都内に移ってしまい、自分も海外で生活しているためなかなか富津へ行くこともなくなりましたが、廃れきった故郷を目の当たりにするより昔の賑わいを記憶にとどめておくほうがいいのかな、と寂しく思ったりします。
この記事にとりあげられた喜楽館の女将は同級生なのですが、令和元年台風の影響で閉館されたとのこと。それが唯一の心配です。