椎津八坂神社近くにある蔵、迷った末たどり着いた椎津城 -姉崎⑹
姉崎から椎津へ。今回は、房総往還沿いにある「椎津のカラダミ」、大人のホテル、そして椎津城跡を探索。神社の横には、珍しい蔵のような商家建築があり、今回も濃い内容になりました!
ホテルと「椎津のカラダミ」
千葉県市原市椎津。房総往還を南へ歩き、浄土宗瑞安寺の近くまで歩いて来た。
街道沿いには商店やビジネス旅館「二葉」など気になるところがあったが、左の裏道を指すホテルの看板がよく目立っていた。
ホテルビーノ・ビーノ。これは大人向けのホテルかな?!特にGoogleマップには記載が無い。
裏道へ行こうとしたら、角に千葉県指定無形民俗文化財の説明看板があった。こんなところに…
市原市椎津に伝承されている盆行事の「椎津のカラダミ」。
お盆に万灯を飾ることは他の築でも行われたようですが、遺骸を伴わない葬儀・カラダミ(空茶毘カラダビ の訛りか)は、類例の少ない珍しい民族行事とされています。カラダミの由来には、水難者などの供養に椎津城落城の伝説が重ね合わされているようです。
毎年8月15日に開催されているとのこと。思いがけず文化財と遭遇してびっくり。
ホテルの存在を確かめに裏道へ。
鬱蒼とした裏道…女性一人で歩く場所ではないよなあと思いながら、坂道をのぼっていく。
オレンジ色と緑のレトロな街灯!!街道沿いの商店街で見かけたのと同じ。ここも商店街の一部だったのかな。
目の前にホテルが見えてきた。
建物の屋上にある二つの看板が可愛い。車の形をしたネオン?の看板。
後日確認したら、内房線の車窓からも見えた。宣伝効果はバッチリだなと思った。
房総往還沿い・八坂神社
もう少しだけ房総往還を南へ。たばこのホーロー看板付きの建物が視界に入ってきた。フコク生命のタイプはよく見かけますね!
店舗入り口…塩小売店のホーロー看板も見えた!が店頭は植木鉢がたくさん置かれていて営業しているかは不明…
建物外観。左は「すがわ酒店」。右は居酒屋?立ち食い蕎麦「道」。この先を進むと、椎津の交差点。交差点の角にはセブンイレブンがあるので、酒屋は立ち行かないかも。
そして房総往還を駅方面へ引き返し、椎津の八坂神社まで戻ってきた。椎津村の鎮守として祀られてきた神社。
大鳥居は、文化9年(1812)のもの。その他、狛犬や手水、灯篭なども江戸時代に作成されたものが現存している。
神社近くの蔵?商家?
椎津八坂神社の裏側から椎津城へ向かおうと思って裏通りへ…
あれ、なんだか見たこと無い形状の建造物…蔵が二つ合体したような不思議な建物だ。しかも左右の蔵の造りも全然違う。面白い!
左は石造り?
Twitterでこの建物について知見を募ったところ、興味深いコメントが来ました。
上総のあたりは、大谷石が流行した時期に大谷石の建造物が多く建てられたので、蔵に大谷石で増築したのでは?さらにあとになってから、前の部分を増築して店商売をしていた時期があったかのような…
増築に増築を重ねた建物なのでしょうか?現在はお店としては使用されていないようです。
ガラスに1枚チラシが貼ってあった。姉崎小学校小域福祉ネットワークのイベントのお知らせとのこと。この建物はイベントの開催場所として使用されているのかな?
この建物についても調べても全く情報が無かったので、記録に残すことが出来て良かった。
史跡・椎津城跡
そして椎津城跡へ。裏通りを進んでいくと、手描きの案内看板があった。正直、看板が無かったらどの道を進むべきか分からないほど住宅街…
紫色の旗が道の右手に…!有難い。
さらに坂道をのぼっていくと、急に山の中に…椎津城跡は正面の部分だが、さらに左へ進むと入り口があるようだ。街灯とか特に無かったので、昼間でも少し暗い。
車がギリギリ1台通れるほどの狭い道を抜け、次の分岐で右折。その後、民家の間の細い道を入っていくと椎津城跡へたどり着くのだが…この道が分からず何度か辺りをウロウロした。
Googleマップを見ていても迷いました。完全に私道ですよね。
細い道を抜けると再び紫色の旗が見えてきたので一安心。
千葉県指定史跡の城。市原市内最大規模のお城とのことで、テンション上がります!
現在は、「史跡 椎津城跡を守る会」というボランティアの方々によって史跡整備がなされているらしく、今回私がこの場所にたどり着けたのも旗や案内看板があったからでした。
椎津(しいづ)城について説明看板も。看板によると、築城者は不詳だが、中世の城であり、武田氏や里見氏など様々な勢力の拠点に。
滝沢馬琴『南総里見八犬伝』では里見氏につながりのある城として登場もするらしい。
戦国時代には市内で最も攻防が激しかった場所の一つで、1590年に豊臣秀吉の北条攻めによって攻略されるまでは常に戦略上の要衝だったとのこと。
しかし、現在は敷地の多く(緑色の部分)が民有地であるため、むやみに探索できない。説明看板だけ見て帰宅することにした。
椎津城跡から先ほど裏道へ戻ってきた。駅へ帰ろうと思っていたら、民家の入り口に石碑を発見!!
立体的な手が左を指している!道しるべだ…状態も良くて素晴らしい。建物を建て替える際に石碑も一緒に保存されたのだろうか。
右が少し読みづらいが、中央が「なりたみち」、左が「えどみち」。
個人的に立体的な手が彫られている道標が好き。スマホも地図も無い時代に、歩いていてこの道しるべと遭遇したら安心できそうだなと思うから。
道しるべが指す方向、椎津川を渡って姉ヶ崎駅方面へ。
姉ヶ崎駅東口の旅館「白菊」など
姉ヶ崎駅東口へ戻ってきた。東口にある昭和を探し、最後の探索。
下の写真は、居酒屋「らふらん」などいくつかの店舗が入る二階建ての建物。
”かうんたぁぱぶ”平仮名で表現するところが可愛い。
右手に写っているのは「小池海苔店」。ホームページには、昭和2年に創業した海苔問屋とのことで、海岸沿いの埋め立て前から続く老舗が現在も営業していることに驚いた。
そして、東口の北側へ。正面に見えるのはイトーヨーカドーで、その手前に街灯が並ぶ。商店街かな?
下の左の建物は2015年頃まで札幌味噌ラーメン「やよい食堂」だった。
右手は広い駐車場。そば屋や居酒屋などが見える。昔は歓楽街的な場所だったのではないかと思う雰囲気。ぜひ覚えている方がいたら教えてください!
パブスナック「ジュテーム」の派手な看板。その手前遠くに居酒屋の古い建物は更地に。ジュテームだけ残っている。
そして裏道へ。工事中の建物は元旅館のようだ。
ビジネス旅館「湖月」。2015年頃まで営業していた。
そしてそのすぐ近くにある旅館「白菊」。
赤と青の文字が取れてしまっているが、こちらは営業中。
素泊まりのみ。お1人様一泊3500円。
旅館が二軒ある姉ヶ崎駅東口。昔は他にどんなお店があったのかな…気になる場所でした。
姉ヶ崎探索、この日はこれにて終了。意外と知られていない建物が多くて歩いて良かったなと思いました。
(訪問日:2021年9月)
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椎津のカラダミは去年コロナで中止だったので、今年も中止かな?
万燈行列では山車に新盆の家から使用済みになった提灯を貰ってきてぶら下げるのですが、これが高齢化で問題化してます。
カラダミは二回見学してますが、五年前に聞いた話では、最近は亡くなる老人が減ったので、提灯も減ってしまい、飾り付ける提灯不足なんだそうです。このままでは行事の為に提灯を購入しなければならない羽目に陥りそうですね。
今のところは再利用で乗り切ってるそうですよ。
カラダミは見た目と異なり、結構音量が大きく賑やかな行事です。
椎津城に行く際に私もあの連結した倉庫の写真撮りました。面白い作りですね。
昔は商店だったのかな?
道標も手がリアルで良く出来てますね。あれだけ立体感のある道標は珍しいですね。
コメントありがとうございます!
コロナ禍&高齢化でお祭りも衰退しないか心配ですね…道標を共感してくださる方がいて嬉しいです笑
姉崎〜青葉台〜椎津探索、興味深く拝見いたしました。
幼少期、その辺りは自分の家の庭のごとき遊び回っておりました。70年代後期〜80年代の頃です。
姉崎は城下町です。
記事にされませんでしたが、宍倉呉服店から山側へ進むと姉崎小学校があり、そこが昔は鶴牧城というお城だったそうです。
城下、現在の県道から山側は曲がりくねった細い路地だらけで初めて歩く人は迷ってしまうかもしれません。
記事にされた商店街の寂れようは心悲しい限りです。
イトーヨーカドーの出店が商店街の活気を奪ってしまったのが大きい理由ではないでしょうか。
子供でしたから通うお店は限られましたが、その頃から閉店するお店は少なからずでした。
現在の姉崎は駅前通りは広く整備されましたが、自分には活気のない寂しい町に映ります。
存命であれば自分の親も同じ気持ちになったんじゃないかなぁと考えてしまいます。
救いなのは、くず餅の玉屋が続いてることです。
このお店のくず餅を食べると楽しかった子供の頃の記憶を懐かしく思い起こさせてくれます。
玉屋は冬になると今川焼きを始めるのですが、初代女将さんがまだまだ現役で今川焼き一つを紙袋に入れて渡してくれたことを思い出します。