姉崎に残る近代建築?洋風な三木邸『千葉県博覧図』より -姉崎⑸

姉崎に残る近代建築?洋風な三木邸『千葉県博覧図』より -姉崎⑸

姉崎に残る近代建築。建物自体が姉崎の歴史を物語っている。明治時代に発行された資料にも描かれた邸宅が現在もひっそりと残っていました。

姉崎の近代建築

市原市姉崎。現在は個人宅であるため、詳細は言えないが姉崎の街道沿い。歩いていたら、立派な門柱と煉瓦積みのような洋風建築がある邸宅に出会いました。

姉崎の街道沿い

うわ…こんな素敵な近代建築が姉崎に存在していたとは!全く知らなかった。こんなに近代建築調べてリストも作成しているのに、ネットで検索しても情報が全然ない。

姉崎の近代建築?

建築素人の私にはこれがいつ頃に建てられたものかは分からない。だが、細部を見ると戦前から存在しそうなくらい凝った造り。

いつ頃の建築?
柱の上部の装飾

入り口は銀行のような重厚感のある造り。屋根部分は銅板だろうか。木製の扉、ダイヤ型の欄間が美しい~

美しい入り口でした

早速その場で調べるも、ネットには情報が無く不思議だった。建物からは歴史を感じるが、なぜそんなに知られていないのだろうか。

コンクリート造門柱

埋もれたコンクリート…

建物は何かの事務所として使われていたのだろうか。それとも銀行?想像が膨らむ。

埋もれている
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三木邸(『千葉県博覧図』)

左手に自宅、中央に洋風な建物、右手に門があり広い庭のある邸宅。洋風な建物の隣に増設したかのような平屋の小屋スペースもあって気になる。

帰宅してから図書館で調べると、明治29年刊『日本博覧図千葉県編』の『千葉県博覧図』に情報が載っていた。

二七二 三木房吉 姉崎町(市原市姉崎)

三木房吉は豪商で米殻・酒・醤油・荒物・味噌醸造などの商業を営み、海岸に三木屋の廻船場があって五大力船が発着していた。

自前で五大力船を所有、醸造業も営む、まさに豪商の邸宅であることが分かった。

電話番号も3番。公的機関以外でこんなに数字が小さいということからも、豪商だったことを実感する。

電話番号のホーロー看板も

姉崎神社の鳥居は、房吉一族の奉納によるものだそうだ。今度行ったら確認してみよう。

『千葉県博覧図』に明治時代の三木家の様子が描かれているが、その頃は今のような洋風な建物は映っていない。当時は恐らく茅葺屋根の商店で、敷地内に蔵が複数、椎津川まで広がっていたようだ。

となると戦後に建てられたものなのだろうか。

謎の洋風建築

さらに、昭和8年に廃業されているので、この建物の謎は深まるばかり…

向かいの建物
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新町ラーメン橋と街道沿い

邸宅から海側へ、かつての海岸線の方へ歩いてみる。三木屋の廻船場は面影も無し。

海方面へ

内房線の高架。Googleマップで「新町ラーメン橋」と記載されているので気になって行ってみると、なんて低い高架下なのだろう…!

新町ラーメン橋

誇張とかではなく、大人はかがまないと通れない高さ。ちょうど親子連れが面白がって通っていたが、子供は電車が間近で見れると喜んでいた。高さは1m。昭和42年竣工とのこと。

低すぎる

そして、なぜラーメン橋という名前なのかも気になる。

「おざわっち’s気まぐれブログ」によると、宅地化によるかさ上げが行われたようです。

歩けたらしいのですが、線路の両脇を宅地化でカサ上げした時に何故か橋の下もカサ上げしてしまったらしいです。

昔は通れたのか~

昔は通れたのですね

そしてその後は、房総往還へ戻り西側へ。

ガソリンスタンド跡
古い蔵が残っている

椎津川を渡り、椎津城を目指しますよ~川の周辺は鮮魚店が何軒かあった。

椎津川近辺
大森鮮魚店

小湊バス「椎津宮下」。姉崎(別荘下)とは?別荘があったのかな?

椎津宮下
キリスト看板だ~

さらに房総往還を西へぶらぶらと。

房総往還を歩く

最後に気になる建物。現在は営業していなさそうだが…

ファッションリフォームフジヤ

隣はお食事「ふじ家」。「オロチョンラーメン」の看板が出ていて気になる~!

ふじ家
オロチョンラーメン

喫茶・食堂、営業しているときに訪れたかったな~!!

喫茶食堂

 

コンクリート製ゴミ箱

裏通りには金剛寺。こじんまりとしているものの、整備されていて綺麗でした。

金剛寺

姉崎の近代建築、ご存知の方がいたら教えてください~

(訪問日:2021年9月)