安食の船着場跡と旭隆舎|街道沿いと牛乳店を訪ねる -安食⑾

安食の船着場跡と旭隆舎|街道沿いと牛乳店を訪ねる -安食⑾

水運の時代に栄えていた栄町安食。安食の探索編の続き、今回は川沿いの船着き場跡と歴史が深い牛舎の話です。

※以前の安食探索編と同じ日の記事です。更新が前後してしまいました。すみません。

 

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安食 船着き場の面影

千葉県印旛郡栄町安食(あじき)。
安食の水運時代の歴史が少し気になっている。

角川書店『日本地名大辞典』に安食村、安食町の説明が次のようにある。

安食川岸は、北浦・霞ヶ浦からの鮮魚を行徳(江戸)に向けて陸送する要地にあたり、布佐河岸よりの鮮魚街道とともに輸送量が多かった。

そして、郷蔵屋敷(ごうぐらやしき)=村内に設置された蔵や津出場=江戸時代、年貢米を回送するための舟積場、舟渡場3か所。

天保13年の農間渡世(のうまとせい)には質屋・旅籠屋・菓子屋・居酒屋など66軒。

明治時代に入って鉄道が開通するまで、水運で栄えていた安食は国道沿いに旅籠屋や商店が多数並び賑わっていた。現在も旅館は閉業しているものの、古い建物が点在しているのはその名残と思われる。

旧商店

これまでは建物に注目してきたが、最後に船着き場を探したいと思った。大鷲神社から北、国道356号沿いを北に進み、駒形神社の西側は特に長門川との距離が近い。

国道からふと川の方へ眼を向けると、なだらかな小道が続いている。

長門川へ
放置された車と

木々が生い茂る河岸。古びた小屋には車が放置されていた。

かつて何か所かあった船着き場を特定はできていないが、その時代の名残を感じる風景を見ることが出来た。

国道356号、ふじみ橋交差点。

ふじみ橋交差点 コンビニ
印旛そば石亭

印旛そば石亭、ナマズが美味しいらしい。昭和60年創業。

また、さらに北へ行くと鰻屋「うなぎ さかた」。

うなぎ さかた

ここの鰻が美味しいと聞いたのでいつか行ってみたいな。

 

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旭隆舎と宮田牛乳店

酪農乳業史デジタルアーカイブスにて安食の「旭隆舎引札」を発見。この資料は偶然見かけたのだが、安食にこんなに洒落た引き札を発行している店舗があったことに驚き、実際に現地を訪ねてみることにした。

画像は掲載できないのでリンクからご覧ください。

旭隆舎引札

1900年代(明治33-明治42) / 千葉県

概要
この引札は、千葉県安食(あじき)町にあった「旭隆舎」のものです。図柄は洋風の服装したお嬢さんが、牛乳缶を下げており、脇の子供は、当時流行のセーラー服を着て、牛乳壜を象った山車(だし)に跨って、手には小旗を持っています。暦からみて1907(明治40)年ころのものです。バックには牛の群れと牛舎など牧場風景が描かれています。こうした引札は、専門の印刷所があり、出来合のものに自分の商店名と業種を入れたものが多かったといいます。

タイトル 旭隆舎引札
年 1907年頃(明治40年)
都道府県 千葉県
史料出展 雪印メグミルク(株)(酪農と乳の歴史館)
分類 宣伝・広告物

https://www.j-milk.jp/digitalarchives/detail/H0112.html

引札は2枚ある。

旭隆舎引札2
1900年代(明治33-明治42) / 千葉県

概要
この引札は、千葉県安食(あじき)町の旭隆舎のものです。1907(明治40)年正月に、月決めの消費者に配布したものです。同舎は牛乳販売の他に牛豚肉も取扱っていたものと思われ、その旨も併記されています。図柄は乳児を抱いた若い母親が、牛乳壜を持ち乳児がこれに手をだしているとと思われ、ストーリー化されているように見えます。この引札も特別注文ではなく、暦(こよみ)と店名をいれれば発注できるようになっていました。

タイトル 旭隆舎引札2
年 1907年(明治40年)
都道府県 千葉県
史料出展 雪印メグミルク(株)(酪農と乳の歴史館)
分類 宣伝・広告物

https://www.j-milk.jp/digitalarchives/detail/H0113.html

安食の牛乳店、現在Googleマップで調べると国道356号沿い、ふじみ橋の北側に2店舗表示される。引札の資料と関係があるのか、実際に伺ってみることにした。

まず、1店舗目は森永牛乳安食販売所。国道から見える水色の小屋かな?今は営業していなさそうで確認できず。

国道356号沿い

もう1店舗は同じく国道沿いの北側にある宮田牛乳店。

古い建物も一部残っているようなのでもしやここか?と思い、急ですが話を伺いました。少しなら…と快く受け入れて下さり感謝です。

宮田牛乳店

旭隆舎の引札の画像を見せるも、ここでは無さそうで宮田牛乳店は「愛生舎牧場」とのこと。

3代目でとても愛想のよい店主さんだった。牛舎だった建物が残っており、昔は川沿いに放牧していた、牛乳屋としてはここが一番古いのではといった話を伺った。

 

また、当時の大鷲神社の酉の市は凄い人で、茨城から渡し船で来る方も。今より交通量が少なかったので道路沿いに露店が並んでいた。

引札から牧場の話だけでなく、水運で栄えた安食の繁栄を少し知ることができた。

途中で見かけたホーロー看板

安食駅方面へ戻る国道356号沿い。

国道356号

右手の葬儀屋の向かいに、元旅館の建物が残っていることを聞いた。

国道沿いの葬儀場の前!となるとこの二階建ての建物が怪しい。

安食小学校近くの古い看板によると、ビジネス旅館山中。

古い地図より

確かに横から見ると2階に客室と思われる窓が並んでいる。2014年のストリートビューでも看板を確認できないので閉業したのは10年以上前かな。

隣に新しい建物が建ち始めた

この旅館のすぐ目の前は、長門川。水運時代の安食の旅館としては竹村旅館と合わせて2軒面影を知ることができた。

 

 

 

(訪問日:2022年12月)

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