安食学院跡と勝田吉治郎|大鷲神社~国道沿いを歩いて見かけた碑 -安食⑼

安食学院跡と勝田吉治郎|大鷲神社~国道沿いを歩いて見かけた碑 -安食⑼

印旛郡栄町安食。安食の酉の市に参加した後、以前は歩かなかった北側の地域を探索。

「安食学院跡」という古い門を見つけました!!

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安食 国道356号沿いを歩く

千葉県印旛郡栄町安食。以前、7つにわたる記事にわたって紹介したが、今回は国道356号をさらに北へ足を伸ばしてみる。↓以前までの記事

安食「仲下町商栄会」を歩く。近代建築が静かに佇む -安食⑺

安食「仲下町商栄会」を歩く。近代建築が静かに佇む -安食⑺

以前に比べたら木々が伐採されていた

石田屋呉服店、表の看板建築も素敵だが裏の蔵も立派だな~

石田屋呉服店

栄安食郵便局は新しい建物に。

栄安食郵便局

商店跡の横に残る蔵。手前の建物が無いので蔵が良く見えるが、扉が開いているのが心配になった。栄中下、今は静かなこの通りも昔は商店街だったのだろう…

蔵が残る

 

向かいで営業中の中華料理屋「珍華」。なんと、営業時間が短い!お昼は12時~13時とは。いつか入ってみたい。

交差点の角に佇む木造の商家。

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駒形神社(栄町安食)

先ほどの交差点を東へ行くと、駒形神社がある。

12月の紅葉

ホームページに詳しい解説が載っていた。千年近く前の話だが安食の地名の由来にも関わってくるようです。

由緒
1111~1151年(天永2年~仁平元年)にかけて、駒形神社のあたり一帯は大水・干ばつにみまわれ、飢餓が続き、民は大変苦しみましたので、仁平元年(1151年)9月9日、郡司大浦朝臣廣足が駒形山の大台の地に、五穀豊穣の神を祭ったところ、翌年秋豊作となりました。

このことから、神の賜り物と考え、以後も末永く民が食に安んずる様、川崎村から安食村に改められたのは天正年間の頃と伝えられています。

天明6年(1786年)の「安食村御差出明細表」の中で辺引の本社の説明に「駒形明神之元の跡」とあることより、以前は辺引き(安食小近く)に鎮座していたとも考えられます。
本社はのちに川崎神社と改められています。

祭神
駒形神社には八坂神社と浅間神社を合祀しています。

主祭神
保食神(うけもちのかみ)
五穀豊穣・地域安全・家内安全

浅間様
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
育児安全・安産子授かり・子孫繁栄

八坂様
素戔鳴尊(すさのおのみこと)
厄除け・無病息災

社殿・社格
社殿
本殿は文化3年(1806年)に再建。(本殿擬宝珠に刻銘)一間社流造り、 棟札には文化4年とある。 拝殿は昭和49年に再建。(本殿は栄町の文化財に指定されました。)

社格
江戸期(1718年)に正一位に定まり、明治維新以後は村社の社格をもつ社です。

 

栄町観光案内板、古いまま残っていて嬉しい。周辺の記念碑や神社仏閣が描かれている。高浜虚子など句碑も多い。

観光案内板
拝殿

本殿は栄町指定文化財。彫刻が見事。

本殿は栄町の文化財

樹齢800年の御神木、胎内くぐりがパワースポットとして知られているらしい。

しかも左側にはペットがくぐれる用のものも設置されている。面白い。

御神木
境内に残る大きな忠魂碑

こちらは武者塚慰霊之塔。戦国時代末期、この地にあった大台城が陥落し、戦死者を合葬した場所であるといわれているという。

武者塚慰霊の塔

そして駒形神社の参道近くに佇む宮本商店。歴史がありそう。

宮本米店
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安食学院跡の碑

再び国道356号へ。北上して歩くと、栄中学校近くの国道沿いで気になる一角があった。

国道沿い

右半分が板塀で、錆びた門が残る空き地。

門を注視すると、左側に何やら文字が掘られていた。
「安食學院跡」。

安食學院跡
表面が少し削れているが…

Googleマップにも特に表示は無く、事前情報が無かったので驚いた。

ネットで調べても出てこないが、学校の跡地?
ヒントが無いか、門から裏を覗いてみると、碑の側面に文字が刻まれていた。

門から草をかき分けての撮影、全文解読は難しいが、
昭和39年にこの碑が設立されたこと、勝田吉治郎が明治42年に設立したと読める。

当時の千葉県教育委員長の御父様が設立した学校で、没後50年を記念して造った碑?現在は敷地内に古い石壁が残っていたが建物は残っていない様子だった。

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安食学院と勝田吉治郎

国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみると意外にもたくさん情報が載っていた。

『千葉県立千葉中学校一覧』 大正2年,千葉県立千葉中学校,大正2-5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/907095 (参照 2024-08-05)

明治19年2月15日卒業
安食学院長 勝田吉治郎

⇒千葉県立千葉中学校の卒業生の名に載っている。

 

千葉県教育会 編『千葉県教育史』第4巻,千葉県教育会,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1446142 (参照 2024-08-05)

私立安食學院 本院は印旛郡安食町に在り、前印旛郡視學で後茨城懸下妻中學校教諭たりし勝田吉次郎経営し、明治42年4月創立翌43年4月校舎新築成りて移築す、教員4人、生徒50人あり、修行年限3箇年の中学程度の教育所である。(印旛郡誌)

⇒安食学院の概要が掴めた。

私が知らないだけで昔は私設の学校が各地に存在したのですね~

 

酒々井町史編さん委員会 編『酒々井町史』史料集 5 (近代・現代編),酒々井町,1978.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9641446 (参照 2024-08-05)

⇒大正12年5月の「繭共同販売所開設通知」によると、「安食学院跡」は7日間、「安食繭共同販売所」として利用されていたようだ。

他の資料には、安食学院を卒業した方の名が多く見られた。千葉県の教育史においても重要な地だったに違いない。
現在は空き地となり、面影も無いが史跡として公園にでも整備されたら嬉しいと思った。

(訪問日:2022年12月)

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