椎柴駅周辺。西銚子の商人町、旧高田河岸街並みと旧河岸問屋 -椎柴⑵
椎柴駅周辺の探索第二弾。古くから利根川沿いの高田河岸地区は、銚子の西側の中心地として栄えた商人の町だそうです。現在も残る近代建築に心奪われます。
高田河岸と国道沿いの街並み
千葉県銚子市野尻町。JR成田線「椎柴駅」で降りて国道356号沿いを東方面へ歩いていた。
利根川に沿って広がる野尻地区は、古くから高田河岸として栄えた町だそうです。詳しくは「銚子時間 野尻地区」にて史跡マップと合わせて紹介されている。
銚子の西の中心地として中世から続く商人の町。
利根川を利用して米や干鰯などを江戸へ積み出す河岸として栄えました。
旧銚子街道に沿った高田から小船木は昔の面影が残り、
利根川とともに歩んできた銚子の歴史を多く見ることができるエリアです。
また、香取の海と呼ばれていた古墳時代まで遡る遺跡も多く、
利根川東遷以前からの歴史文化を垣間見ることができます。
椎柴駅を拠点にして1㎞圏内に点在しているので歩くのにはぴったりかも。特に後ほど紹介する河岸問屋の建物は圧巻!
国道356号沿い。「ヤマショウ」という元精肉店の隣に石蔵。
閉店して久しい様子だが、こちらも元河岸問屋だったりするのかな。
逆川地蔵尊入口、看板があるので横道を覗いてみたが少し遠そうだったので今回は先を急いだ。
旧銀行建築?銚子信用金庫
それよりも国道沿いのこの建物が気になって仕方が無かった。
「銚子」の文字だけ残っている。恐らく隣の銚子信用金庫の前身だと思う。
横から見たら看板建築のような造りだった。情報が無いがこれも近代建築に分類されるのかな。窓の木製の枠とか照明も好きだな~
脇にある門柱も古そう。隣には現在の郵便局。
旧河岸問屋・宮城家住宅
そして国道沿いの神明神社。
神社の斜め向かいにあるのが宮城家住宅。旧河岸問屋だそう。
立派なレンガ塀と蔵が残っており、かつての河岸で繁栄していた頃の野尻地区の面影を色濃く伝えている。文化財に登録されてもおかしくなさそう。
銚子石の石垣。見逃したかもしれない!
煉瓦塀に囲まれた蔵は、高田河岸の河岸問屋宮城家の建物です。敷地の西側の煉瓦塀や北側の銚子石の石垣が残り、川縁であったことを伺い知ることができます。(銚子時間より)
また、崙書房出版の『利根川読本』に高田河岸で宮城家住宅の事が紹介されている。かつては蒸気宿だったそうだ。
三十年ぐらい前までは、家のすぐ後まで利根川がきていたがいまは埋立てられて水辺はかなり遠くまで後退。蒸気宿といっても、別に旅人を泊めたわけではなく、簡単な待合室があって、石毛松之助というおじいさんがそこに寝泊まりし、切符を売ったり荷を運んだりしていた。(『利根川読本』)
発行されたのが平成四年。その30年前なので1960年代くらいまでは利根川も距離が近かったというわけか。
宮城家は代々利根の水運業者であった。いまの家は、天保七年(1836)の建築で、国道拡張で玄関先が削り取られる前は、間口が八間に奥行が八間もあったという。黒光りする太い梁や柱に繁栄していた頃の歴史がしのばれる。(『利根川読本』)
国道356号の道路拡張のために玄関先が削られたそうだが、手前のブロック塀が建つ以前はどんな様子だったのだろう。
宮城家では、飯岡や旭地方の醤油やイワシのかす肥料などを大量に扱い、通運丸を使ってせっせと東京へ送っていた。(『利根川読本』)
江戸時代末期の河岸問屋の建物が今も残っていることに感動した。そこまで知名度も高く無さそうなので不思議だ。
西側の敷地を囲む高い煉瓦塀。ちらっとみたら敷地の中にも煉瓦塀が残っており、昔の様子を想像するとワクワクする。
そしてその敷地は利根川に向かって細長く、利根川沿いの裏手には煉瓦造りの裏門があった。
現在は使われて無さそうな鬱蒼と茂った門。良い~~
囲んでいるのが銚子石の石垣かな?
宮城家の向かいには元酒屋さん。
富士正食品(株)ピーナッツみそ!
そしてその隣にある会社「富士正食品(株)」は、千葉県の郷土料理であるピーナッツみそを主力製品として製造販売しているそうだ。
それにしてもこの門柱が古そうで歴史を感じる。
会社沿革を見ると、
会社創立が明治44年。醤油味噌醸造業個人にて創業とのこと。その後、昭和17年に宮崎醤油株式会社設立。ピーナツハニー(ピーナッツみそ)の製造開始は昭和39年。利根川沿いの醤油味噌醸造→ピーナッツみその会社に。
隣には雄喜屋商店。今は営業していなさそう。
あとは国道沿いの古い建物がちらほら。
そして裏路地の水神宮。
水神宮から高田河岸跡を辿ってみる。
住宅の間を抜けて利根川へ。
かつての旧高田河岸、実際にはもう少し西側の位置していたらしい。
利根川沿いの土手を歩いてみる。想像以上に広々としていた。川は遠くになりにけり。
そして先ほどの旧河岸問屋の裏手。横の道を通り、再び国道356号沿いに出て次は西側へ歩いてみる。
(訪問日:2022年3月)
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宮城家の…レンガ塀にうっとり。
そして、レンガ塀の手前の「蔵」を見て、おぉ~と思いました。だって、屋根の下にレンガが使われていますよ。そして、ほかの写真でも、石垣の上部分に「レンガ」が使われていますよ…。これ、どうしてでしょうね?
当時の施工者の美意識によるものなのか、あるいは当時の建築の(=建て方の)流行りのようなものなのか。でもね、石垣だって、とってもよく出来ていますよ。単に石を積み重ねて、間をコンクリートを流し込んでゴマかす…というふうではなくて、江戸城の石垣みたいに、精巧な組み方をしています。
そして、そんな緻密な石垣の上にレンガ…。いや~、こういうものが時の経過とともに、深くふり返られずに失われていくことは何とも寂しいことです。
※蒸気宿…知りませんでした、むかしは、水運業などで荷揚げした荷物を人力車(大八車)で運ぶ仕事があったのですよ、まぁ、いまのウーバーイーッみたいなものですかね、船が着くまでは発着所でみんなウダウダしていて、荷物が着くと「ほらっ、仕事だぁぁぁ」って、群がる(笑)。千葉県も奥が深いですね。