富桝旅館|我孫子の古い旅館に宿泊!素泊まり5千円~ ー我孫子⑽
我孫子の「富桝旅館」。古い旅館巡りが好きな私は我孫子で一泊、他の老舗旅館が休業閉業が相次ぐ中、一度泊まってみたかった旅館でした。
我孫子「富桝旅館」宿泊レポート
千葉県我孫子市寿2丁目22−19「富桝旅館」
JR我孫子駅から手賀沼方面へ徒歩15分ほど、高台に位置する富桝旅館へ。以前我孫子を歩いた際に気になっていた旅館です。文人たちに愛された「天神坂」。「三樹荘」「嘉納治五郎別荘跡地」へ -我孫子⑷
しかし、ネット上には古いホームページと少ない口コミで情報が少なく、本当に営業しているのか?と不安になるほど。直接電話予約をした際も、今は予約がいっぱいで…と何度か断られていました。そして念願の今回!
少し急な坂を登って正面玄関へ。入る前から雰囲気が良くてテンションが上がります。
まず入って左側の小部屋でチェックイン。帳簿を記入。
今回宿泊する部屋は二階の一番奥の部屋。
他にはもう一組くらいで静かな館内。
エアコン付きの和室。高台なので手賀沼が見渡せます。古い建物なので部屋が少し傾いているかも。私は全然気になりませんが…
お手洗いは廊下に。昔ながらのお手洗いです。
廊下の階段付近に洗面台あり。共同の冷蔵庫もありました。
浴室は1階に1カ所。同時に多くて3人くらいかな、タイル張りのこちらも昔ながらの浴室。熱々なお湯を沸かしてくださってました。
2022年秋宿泊当時の情報↓
金額:素泊まり 1泊5,000円
設備:浴衣タオル歯ブラシあり
ドライヤーは貸し出し
Wi-Fi無し
建物が古いですが、水回りも特に気にならず過ごせました。現在は食事付はしていないそうです。我孫子で宿を探している方はぜひ!
富桝旅館と我孫子の旅館の歴史
富桝旅館で聞いた話を備忘録として…
現在の建物は、昭和21年築。3代目。客室は8室。洋室が1室。建物は当時から変えていないそう。
鳥類研究所が近いため、毎年皇室関係も宿泊されていたとか。フロントにはそうした写真も展示されている。
現在のメインは甲子園合宿利用だそうで、そのシーズンは一般利用が難しいらしい。ゲン担ぎの宿としてリピートがあるそう。
所々に垣間見える凝った意匠。
高台からせり出すようにつくられた大宴会場は100人収容可能。
かつては芸者さん(向島より?)も呼んでいたとか。
かつては調理スタッフがいて賑わっていたという歴史を感じることが出来る厨房と、1階の客室も歴史を感じる佇まい。
東日本大震災の際には、帰宅難民が宿泊。その際に行列になった緑色の公衆電話は今も現役でつないでいるらしい。確かに大事だ…
「若いのに古い旅館好きなの珍しいね~」と3代目。昔の我孫子駅前は工場があって現在はイトーヨーカ堂になり駅北側の方が発展していること、フィンランドからの宿泊や、地元の小学生も職業探検?等で普段入れないため見学に来たりしている話など色々と伺った。
富桝旅館は、1964年発行の『全国著名旅館大鑑』にて紹介されている。昔の写真を見ても今と変わらないのが凄い。
自慢料理が「蒲焼、あらい」とのこと。
我孫子はかつて宿場でもあり、富桝旅館以外に、街道沿いに角松本店や鈴木屋旅館が存在した。鈴木屋は一番古い旅館だったが近年廃業。角松本店も宿泊休業中なので唯一残っているのが富桝旅館なのです。これからも我孫子の歴史を伝えてください…!
(訪問日:2022年10月)
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都内だけではなく、我孫子あたりも、古い旅館は減って行っているのですね…。
「銭湯」と同じく、「旅館」も、全体としては衰退しているのでしょうか、今は、スマホでググるだけでかんたんにネット予約ができるようですが…、うーん、「泊まる」っていうのは、必ずしも、そういう簡便さだけでは語れないところがあるのですよ…。
こういう古い旅館も、文化遺産ですよ、もっとそういう認識を多くの人に持ってもらいたいと思いました。