文人たちに愛された「天神坂」。「三樹荘」「嘉納治五郎別荘跡地」へ -我孫子⑷

「北の鎌倉」と称された我孫子の街を探索するシリーズ。
今回は、手賀沼公園北側にある文豪たちに愛された「天神坂」から著名人の別荘跡地を見学する。

「天神坂」文豪に愛された坂へ
千葉県我孫子市緑1丁目。常磐線「我孫子駅」南口から徒歩20分ほど、手賀沼公園の北側の裏道へ入っていく。

観光案内の看板もあるので迷うことはないだろう。

住宅街に囲まれ、鬱蒼と茂る木々の間に細い階段が伸びている。ここが「天神坂」。
この地に天神様があったことから天神坂と名付けられた。

大正時代にはこの辺りまで、手賀沼の水があったそうで、創作活動の拠点としていた志賀直哉や武者小路実篤らが、小舟でここへ糊付け、坂を登り、三樹荘へ集まることもあったとか。

文豪たちに愛された道。現在は、手摺もついており、とても歩きやすくなっている。
また、青々とした竹林に囲まれ、とても気持ちが良い。鎌倉といわれる所以がわかった気がする。

天神坂の記
かつて我孫子が、北の鎌倉と言われた大正時代、文人達の集った三樹荘と椎の実の降る天神坂は、彼らがこよなく愛したという。
耳をすますと、往時の人々の声が、足音が、轆轤(ろくろ)の軋しみが、聴こえてきそうである。
この度、市がこの様な石段となし、私たちの憩いの道として整備された。遠き日の三樹荘が天神様の境内であった歴史の道、文学の径を私たちも愛し、守っていきたいと思います。
平成5年春 三樹荘主 村山祥峰
村山さんは、坂の上に建っている「三樹荘」に住んでいた方。建物だけでなく、天神坂も含めて整備に関わっていたことがわかった。
「三樹荘跡」柳宗悦の住居跡
天神坂を登ったら、左手に見えるのが「三樹荘跡」。

民藝運動の第一人者である、柳宗悦(やなぎむねよし)の住居跡である。大正3年(1914)に彼がここに居を構えて以降、次々と白樺派の文人達が我孫子に集ったという。
三樹荘の由来は、三本の椎の木から。柳が居住した建物は残っていないが、樹齢400年といわれる3本の椎の木は、当時のまま残っているという。すごい。

柳宗悦の後、田中耕太郎(最高裁判所長官)、河村蜻山(陶芸家)、1953年からここへ歌人で郷土史家の村山祥峰さんの所有に。現在も個人宅のため、敷地内は非公開となっている。

水色の美しいスペイン瓦の屋根が美しい…現在も色褪せぬ素敵な建物に感動した。

嘉納治五郎別荘跡
向かい側にあるのが「嘉納治五郎別荘跡」。2014年4月1日から「天神山緑地(公園)」として開園している。

講道館柔道の創始者であり、教育家でもあった嘉納治五郎(かのうじごろう)が、明治44年(1911)に建てた別荘跡地。
我孫子に甥の柳宗悦を招き、文人たちが集うようになったことから、我孫子の原点をつくった人物として、我孫子市がこの土地を購入し、保全している。

別荘跡には、建物などは残っていないが、別荘から眺める眺望は変わらない。

我孫子は坂が多いので、この公園で一休み。

「ひとをもって かがみとなす」
心に響く力強いメッセージ。自分のことだけでなく、他人のことをよく見て判断する。今にも通じる言葉だ。

また、白山1丁目付近に広大な土地を購入し、「嘉納後楽農園」を開設、様々な作物を栽培していたという。その後、我孫子の初期の分譲住宅となり、多くの人が我孫子に移り住むことになったという。
西側の遺構から探索しているが、東側にもまだたくさんあるのでお楽しみに。
(訪問日:2021年3月)
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