「志賀直哉邸跡」京都から移築した書斎が残る邸宅跡の公園へ -我孫子⑺

「志賀直哉邸跡」京都から移築した書斎が残る邸宅跡の公園へ -我孫子⑺

「小説の神様」と称される志賀直哉も我孫子で暮らしていた。

現在は公園として整備され、別棟だった書斎のみが残されている。

我孫子手描きマップ

「志賀直哉邸跡」へ

千葉県我孫子市緑2丁目。ハケの道沿いにある小高い丘の上に「志賀直哉邸跡」が整備されている。

志賀直哉邸跡

志賀直哉邸宅跡は、昭和55年(1980年)に我孫子市が買収し、母屋はありませんが当時の庭木を残し、移築された茶室風書斎が一般公開されています。志賀直哉が生涯はじめて自家を持ったのは我孫子の弁天山で、天神山に住んでいた「白樺」同人の柳宗悦から我孫子の売り家を勧められたのを直哉が即決し、25,6坪の茅葺の家に3部屋増築して我孫子住いが始まりました。大正4年(1915年)9月のことです。のちに崖の上と邸内に書斎を作りました。直哉は、ここで「城の崎にて」「和解」「小僧の神様」「暗夜行路(後半の途中まで)」を執筆しました。

柳宗悦に勧められこの地に。横のつながりを感じた。

また、一度は耳にしたことがあるであろう名作品が我孫子で生まれたというのも初めて知り、驚いた。

白樺派と我孫子

建物は残っていないが、図面が描かれている。

跡地を感じることができる

志賀直哉が設けた住まいは、生活の場である「母屋」と、「二階家」と読んだ崖の上の離れ、そして書斎が建っていた。

母屋は和洋折衷。眺望よりも、住民の生活道であるハケの道と沼へのアクセスを考慮していたという。

志賀直哉の住まい

北側は、現在池になっているため、復元されていないが、当時の母屋を体感することができる。

復元した母屋

土間、と書いてあるように一つ一つ説明があるので、建物がなくてもわかりやすい。こういう展示も良いなあ。

土間
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移築された「茶室風書斎」

母屋の隣にあるのは「茶室風書斎」。大正10年に建てられ、この場所で『暗夜行路』を執筆した場所だ。

書斎

志賀直哉が、我孫子から京都へ引っ越しする際に、書斎を含めた建物を移築。その後は更地になっていたが、昭和62年に市民の保存要望を受けて、元の場所に再移築されたという。

茶室風書斎の開放日は、土曜日・日曜日(10時~14時)

書斎について

京都へ移築した建物が再び我孫子へ。莫大な費用がかかっていると思うのだが、こちらも無料で公開されている。

文人たちのエピソードが面白い。志賀直哉と武者小路実篤の家は2キロ離れていたため、舟を使って往来していたとか。

文人たちのエピソード

さらに、書斎の裏手に小さな階段を発見。完全に山道なので足元が悪いが…

裏に階段が

住宅街につづく細い道だった。志賀直哉も利用したのだろうか。

すぐ近くには「白樺文学館」があるので良かったら合わせて。

この日は閉館時間に間に合わず、断念した。

 

(訪問日:2021年3月)

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