「旧村川別荘」本陣離れを移築した母屋と朝鮮風の新館が見所 -我孫子⑹

別荘建築が大切に保管されている 「旧村川別荘」。
江戸時代の建物と、「朝鮮風」と表現している和洋折衷の新館。2つの建物が無料で見学できる見所満載の別荘跡地である。

旧村川別荘へ
千葉県我孫子市寿2丁目。「我孫子駅」南口から徒歩25分。ハケの道に面した裏門から入っていくことにした。

敷地面積は、約3,000平方メートル。沼への傾斜地を切り開いての起伏にとんだ土地であり、階段を登った上に別荘の建物が見える。

「旧村川別荘」は、親子二代にわたる西洋古代史学者、村川堅固が建設し、堅太郎が守った別荘。
大正10年(1921)に我孫子宿本陣の離れを移築した母屋と、昭和3年(1928)に造られた新館からなる。

まだ電気も通るから通らないかの頃、我孫子の手賀沼を愛した帝大教授・村上堅固。彼はこの水辺の環境を気に入り、大正6年に沼を一望できる丘の中腹に別荘を設けたという。
周りは住宅街となっているが、別荘空間だけは当時の姿を留めている。

また、元々「子の神道」と呼ばれる江戸時代からの古道に面している道。子の神道は、子の神大黒天への参道であり、別荘の隣地に子の神大黒天延寿院があるので合わせてチェック。
本陣跡の「旧村川別荘 母屋」
旧村川別荘の母屋。本陣の離れを解体、移築した建物である。

当初は茅葺屋根でしたが後に瓦葺屋根に直した。我孫子宿の面影があまり残されていない現在、別荘地として使われ、残されているのは貴重だ。

普段であれば、ガイドの方による説明を聞きながら建物内を無料で見学できるようだが、コロナにより、休館中だった。残念…建物もとても綺麗に残されている。

今から百年前の我孫子の様子。小高い別荘地からは美しい我孫子を見渡すことができたのだろう。

かつては松林が広がり、富士山も見えたと書かれている。紅葉の季節にまた訪れたいな。

旧村川別荘新館
母屋の裏にあるのが昭和3年に建てられた「新館」。最初見た時は、お寺かと思ってしまった。

新館は、昭和3年に斜面地を活かして建てられた銅版葺、千鳥破風の建物で、建立した村川堅固は「朝鮮風」と表現しています。反りのきつい屋根が特徴的で、建物の土台は鉄筋コンクリート造り、建物の中は寄木のしゃれたフローリング、○折れ戸の出窓、沼方向へ広くガラス面を取った手すり窓、床の間、地袋など和洋折衷の建物です。
大正14年に朝鮮旅行をしたときのイメージをもとにデザインした、ユニークな建物。今までに感じたことが無い印象を受けたのは、珍しい朝鮮風だからだろう。

新館も無料で見学できるのに…コロナの影響で今はできないとのこと。

こんなに立派な建物を二つも無料で開放しているのがすごい。
状況が落ち着いたら、また見学を再開して欲しいな…
(訪問日:2021年2月)
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