「杉村楚人冠記念館」大正時代の文人の邸宅を見学!うっとりする建物だった -我孫子⑸

前回のつづきで、今回は国際的ジャーナリストとして活躍した、杉村楚人冠の邸宅へ。
記念館として一般に公開されており、昔の建築が好きな方はぜひ訪れてほしい。

楚人冠公園
千葉県我孫子市緑2丁目。グーグルマップ上にも載っている「楚人冠公園」へ行ってみることにした。住宅街に囲まれた自然豊かな丘の上に公園があるらしい。

軽く山登り気分。我孫子は高低差が多いので、歩きやすい服装がおススメ。

明治から昭和にかけて活躍した国際ジャーナリストの杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)。文人だけでなく、国際ジャーナリストも我孫子に住んでいたのか~

杉村楚人冠は戦前の朝日新聞の最高幹部。大正13年に我孫子に移住し、昭和20年我孫子市で没した。
俳句結社「湖畔吟社」を主宰し、地元文化の育成に努め、大きな功績を残し、河村蜻山作の陶製の句碑が建てられている。

公園の北側に、杉村楚人冠が暮らした邸宅が一般公開されている。
現在は、子供の遊び場としても公園が利用されているらしく、家族連れが訪れていた。
杉村楚人冠記念館
「杉村楚人冠記念館」へ。

開館時間:午前9時~午後16時30分
入館料:一般300円/高校生・大学生200円
購入日から1か月以内に鳥の博物館・白樺文学館にも入館する場合、3館共通券(一般500円/高校生・大学生400円)を買うとお得になるというので購入した。

明治45年(1912)にこの場所に別荘を設け、大正13年(1924)に一家で移住。亡くなるまでこの場所で過ごしたという。邸宅敷地は、約1万㎡にも及んでいたが、現在残るのは約5,200㎡。
半分ほどの敷地になったが、大正時代の文人邸宅のすまいを残している。

我孫子市は2009年に杉村家より邸宅を譲り受け、翌年に我孫子市指定文化財に指定。
旧邸(母屋、蔵、茶室、澤の家)を記念館、庭を邸園とした。楚人冠と家族が残した書籍1909点、書簡2330点、スクラップブック・日記などの書類約2100点、写真約1700点、愛用品約370点を所蔵している。
旧杉村楚人冠邸の母屋
記念館は母屋をそのまま利用している。平屋建てと後年に増築した二階建ての書斎部分からなっている。

外壁の質感が特徴的。

大正ロマンを感じる建物は、映画のロケなどでも利用されているそうだ。

順路に沿って。サロンでは写真撮影ができるとのことだった。

うわ~素敵なお部屋!

サロンには楚人冠が「ジャーナリズム文庫」「新聞紙文庫」と名付けた、ジャーナリズム関連書を中心とした蔵書が収められ、机も置かれています。冬の寒い日には、この部屋で暖炉に火を焚いて過ごしていました。窓側にある本棚は建て付けになっています。建物ができたあと、楚人冠が地元我孫子の大工である佐藤鷹蔵に造らせたものです。

壁一面の本棚。とても憧れるなあ…

部屋の扉が低く感じたのは、今と昔では身長が違うからかな。

杉村楚人冠もくつろいでいたであろう暖炉。温かみのあるデザインだ。



サロンにはどのような人々が集ったのだろう…

そして、サロンの南側は窓のあるサンルームになっている。が、当初はベランダだったそうだ。

改修工事の時に、ベランダのコンクリートの床を見ることができるようにしたという。わかりやすい。

サンルームを外側から見た写真。この日は曇りだったが、晴れていたら景色が綺麗だろうな~

サロンだけ撮影可能だったが、奥にも和室や書斎など見所があるのでぜひ。

緩やかな斜面を下って、茶室の方へ。

茶室。楚人冠はこれを「清接庵(せいせつあん)」と名付けたそうだ。

茶室の横の階段を下っていくと、別棟の浴室があったそうだ。戦後に取り壊されたが、貯水槽のみが残っているという。

隅には井戸?レンガ造りが垣間見える。

園内で最も古いとされる「澤の家」。

建築当初の姿に戻すため、資金を集めているという。


母屋の隣にある蔵も忘れずに撮影。庭園は無料で見学できるので散歩をしている人がいた。

記念館から我孫子駅へと向かう道。商店だったであろう建物を見つけた。

その道を抜けると、水戸街道へ出る。

大正時代から江戸時代へ。我孫子の歴史を遡ることができて面白い。

今まで何で訪れなかったのだろう、と思うくらい文化財が残っている我孫子。
入館料も比較的安いので、ふらっと立ち寄ることができる。
(訪問日:2021年3月)
-
前の記事
文人たちに愛された「天神坂」。「三樹荘」「嘉納治五郎別荘跡地」へ -我孫子⑷ 2021.07.08
-
次の記事
「旧村川別荘」本陣離れを移築した母屋と朝鮮風の新館が見所 -我孫子⑹ 2021.07.09
コメントを書く