旧村川別荘|朝鮮風新館が豪華!我孫子が別荘地として栄えた頃 -我孫子⑼

旧村川別荘|朝鮮風新館が豪華!我孫子が別荘地として栄えた頃 -我孫子⑼

我孫子市「旧村川別荘」。東京帝国大学の教授だった村川堅固の別荘で、現在も庭園と二つの別荘建築が保存されている。市指定文化財。

大正から昭和初期にかけての我孫子の繁栄を物語る歴史的建築です。

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我孫子「旧村川別荘」を見学

千葉県我孫子市寿2丁目25−8「旧村川別荘」

JR我孫子駅南口より徒歩25分ほど。周辺には同じく別荘跡地などの史跡も多いので合わせて巡ると楽しい。我孫子市内に現存する唯一の別荘建築として、母屋と本館が現存しており一般公開されている。

私も数年前に一度我孫子を探索した際に訪問した。
「旧村川別荘」本陣離れを移築した母屋と朝鮮風の新館が見所 -我孫子⑹

「旧村川別荘」本陣離れを移築した母屋と朝鮮風の新館が見所 -我孫子⑹

旧村川別荘の詳細については以前の記事にて。しかし以前は、コロナ禍で見学不可だったため今回改めて訪問した。

コロナが明け、ガイドによる説明も再開。無料の建物内の一般公開も再開していた。嬉しい。

だが一つ注意点。閉館時間が短くなっており、午後4時(入場は午後3時30分まで)。この日も、一日目は15時半を過ぎており見学が出来なかった。そのため、我孫子で一泊後に改めて見学。閉館時間になると戸締りの作業になるため早めの訪問をおススメします。

旧村川別荘

西洋古代史を日本で開拓した東京帝国大学教授・村川堅固が愛した「旧村川別荘」。手賀沼への傾斜地を切り開いてつくられ、敷地はなんと3,000平方m(テニスコート約11.5個分)もの広さがあります。

別荘は、1921年に建設された「母屋」と、1927年から翌年にかけて建てられた「新館」の2つからなっています。母屋は純和風のかわら屋根の家で、村川一家の当時の日常生活が感じられるつくり。一方、新館は朝鮮風で、反り返った銅板ぶきの屋根や、鉄筋コンクリートの土台が特徴です。主に書斎や寝室として使われていた新館には、おしゃれなフローリングや出窓などが見られます。

また、多くの樹木や花々が植えられている別荘の庭は、紅葉や雪化粧など、季節と共にその景色が移り変わります。現在は我孫子市の指定文化財になっています。(ちば観光ナビより)

下から別荘を眺めた様子や茅葺屋根時代の古写真が我孫子市ホームページに掲載されている。確か戦前の絵葉書でも見たことがある気がする…

 

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旧村川別荘 -母屋を見学

高台に位置する旧村川別荘。四季の移ろいが美しい庭園と別荘建築を無料で見学できるのは嬉しい。

まずは右手にある母屋から見学。

母屋

大正10年築の母屋。
我孫子宿本陣の離れを解体移築したもの!旧水戸街道沿いに存在した我孫子宿本陣、現在は跡地に碑が残るものの、建物がこちらに残っていることが素晴らしい。

そして、村川一家はここで食事や入浴など生活をしていたそうです。お手洗いは奥にあったけど、台所などは管理事務所として使用されているようだった。

美しい庭園が広がる

そして特徴が「ねずみ漆喰の壁」とのこと。白い漆喰に墨汁を溶いた色で灰色と藍色が混じったような色合い。

また、手洗い場の外壁は舟板を転用した壁らしく、実用性というよりも釣りや舟遊びを楽しんだ村川堅固の遊びが感じられる。

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旧村川別荘 -新館を見学

もう一つの新館は、斜面側に位置する。
昭和2年築。銅版葺、千鳥破風の建物で、建立した村川堅固は「朝鮮風」と表現している。

新館

先ほどの母屋とは趣向が異なり、寄木のお洒落なフローリングが出迎える和洋折衷なつくり。こちらでは奥の部屋が寝室、沼が見える部屋は書斎兼居間として利用。

玄関

玄関を入ってすぐに展示されているのは、バーナード・リーチがデザインした「三本足の椅子」。

三本足の椅子

また、木製の立派な灯篭が現存。昭和初期頃までは電気が通じていなかったため、母屋と新館を繋ぐ道に建っていたそう。こんな精巧な木製の灯篭間近で見学できるの幸せ。

木製の灯篭

ガラスが良いですね

窓ガラスも気泡が入った昔のガラスのまま。

手賀沼を一望できる奥の部屋。たっぷりと光が差し込み、心が浄化されるよう!紅葉の時期も綺麗だろうな…

我孫子に別荘を設けた頃についての展示。
もともと、勝浦に別荘をもっていたが東京の自宅からかなり時間がかかるので不満だった、とは驚いた。勝浦から我孫子へ、同じように房総から拠点を移した方も多いのかしら。

我孫子に別荘を設けた頃について

 

(訪問日:2022年10月)

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